体力差、育児負担の偏り、セクハラ……課題山積でも「女性自衛官」を増やすべき理由
同じ任務に就かせること=「平等」なのか
さて自衛隊の職域開放に話を戻そう。これは非常に画期的な出来事だったと言える。筆者の防衛大時代の同期にも、戦闘機パイロットを志しながら、性別の壁にはばまれて叶わなかった女性がいた。また10式戦車が好きだった筆者自身も、志望できるものなら機甲科を選んでいただろうと思う。「男性だけの聖域」に女性を入れることに対して、大きな抵抗感を覚えていた男性隊員もいたと聞くが、もはやその反対の声に時代の波を押し戻すだけの力はなかった。 だが職域開放は、当の女性自衛官にとって、単に喜ぶべき話というだけではない。たとえばいわゆる“歩兵”が所属する陸自の普通科は、何といっても体力が要求される。そしてどれだけ女性が努力してトレーニングしたとしても、同じように努力している男性と比べるとどうしても大抵の場合、体力面では劣ってしまう。それは生物学上、いかんともしがたい差異だ。 いまの自衛隊ではさすがに、内心はどうあれ表立って「女はいらない」と公言するような男性自衛官は激減している。多くの男性自衛官は、「女性自衛官は優秀だ」と高く評価する。だがそれは、男女の差異=体力の差異が問題とならない職域・職種において、という前提だ。 たとえば普通科の訓練において、約4kgの89式自動小銃はともかく、約13kgの個人携行対戦車誘導弾(LAM)を長時間担いだり持ったまま走ったりという行為は、女性にとってかなり厳しいものだ。さりとて「私は女だから、LAMなんて持てない」などと放言してしまえば、男性自衛官からの反感を買うことは明白だ。女性自衛官はここで、「必死に努力して何としてでも食らいつく」根性を見せることが求められる。 もちろんそれでも、女性自衛官自身が普通科を望み、鍛錬に鍛錬を積み重ねて配属されたのであれば、本人にとってはいいだろう。そうした先人の姿は、後進の希望ともなるはずだ。当の女性自衛官からも、「並の男性よりも体力のある女性自衛官が、自分のやりたいことができるようになって、楽しそうに仕事をしている。実際にそんな姿を見ると『いい時代になった』と思う」との声が上がっている。 しかし自衛隊は、そうやって先人たちが努力すればするほど、「あいつができたんだから、同じ女であるお前もできるだろ」と言われてしまう組織でもある。もし普通科を希望していない、あるいは適性のない女性自衛官が配属されてしまえば、それはその女性にとっても、周囲の男性自衛官にとっても、非常にしんどい状況になることは間違いない。 防衛大出身の女性幹部自衛官でも、「防大や幹部候補生学校のときは体力で優劣が付けられる面があってつらかった。しかし部隊に出てみれば、仕事で評価を受けられるようになり楽になった。もしいま自分が『普通科に行け』と言われることを想像したら、とても務まる気がしない」と話す人もいる。 能力ではない部分で、女性の戦闘職域への活用を是としない男性自衛官の意見も見受けられた。「近接戦闘を伴う職種に就くということは、捕虜になる可能性も高まるということ。男の自衛官が捕虜になったと仮定すると、たとえ最悪の結末を迎えたとしてもおそらく部隊の士気は上がる。しかし女の自衛官が捕虜になり、凌辱ののちに殺されたとなると、士気の著しい低下は避けられない」といった理由だ。 女性自衛官にとって、男性自衛官は“仲間”でしかない。だが男性自衛官にとっては、そもそも論として「女性は守るべきもの」という価値観が強固に根付いていることが多い。だからこそ、同じ仲間であっても、「男として守らなければいけない女を敵に奪われた」という事実が彼らを打ちのめすのだ。