田中将大の獲得に各球団が消極的で大投手にまさかの現役続行危機 「村田修一と重なる」の声も
■自由契約から所属先が決まらなかった村田修一 セ・リーグ在京球団OBがこう漏らす。 「田中の扱いは非常に難しい。先発投手としての実績は申し分ないですが、昨年のパフォーマンスを見ると戦力として計算できるか判断が難しい。獲得すれば、日米通算200勝に残り3勝に迫っていますし配慮しなければいけない。今の田中の置かれた立場は巨人を退団した時の村田修一(現DeNA野手コーチ)と重なります」 村田は横浜で本塁打王を2度獲得し、FA移籍した巨人でも主力として活躍していたが、若返りのチーム方針を受けて17年のシーズン後に退団し、自由契約となった。ただ、同年も114試合出場で打率.262、14本塁打、58打点をマークし、力の衰えが如実に見えたわけではない。ゴールデングラブ賞を3度受賞するなど三塁の守備も安定感があった。レギュラー格の主砲として複数球団の争奪戦になるとみられたが、意外な展開が進む。三塁のレギュラーが固定できていなかったヤクルトが獲得を見送り、打線強化が補強ポイントだった他球団も動かない。越年しても所属先が決まらず、18年3月になって独立リーグ・栃木に入団。そこでNPB復帰を目指したが叶わず、1年プレーした後に現役引退を表明した。 当時取材していたテレビ関係者が振り返る。 「通算1865安打を放ち、2000安打の大記録は確実に達成できるものだと思っていましたが、なかなか新天地が決まらない。ある球団フロントは『村田を起用するならレギュラーで使わなければいけない。数年後のチーム作りを見据えた時にどうなのか』と漏らしていました。当時は巨人だけでなく各球団で若返りが進んでいたので、巡り合わせが悪かった。あとは村田の性格が誤解されていた部分もありましたね。横浜時代に奇抜な髪型をしたり、強気な発言をしたりして、ヤンチャなイメージを持つ人が少なくなかった。実際に接してみると全然そんなことはないんですけどね。横浜時代は目立たなければメディアに取り上げてもらえないという事情がありましたし、強面の風貌ですけど、野球に関しては理論派だしチームの輪を乱すタイプではない。気の毒でしたね」