どんなイベントでも大注目? パンサー・ソロ 2(2) チャンスを逃した驚くほどの動的能力
モーターショーでは数100件の注文が集まった
パンサー・ソロ 2で大きな問題になったのは、複合素材によるタブ構造の生産技術が未成熟だったこと。硬化プロセスが正しくないと、アルミ製ハニカムパネルが変形する可能性があり、塗装も難しかった。 【写真】イベントで大注目? パンサー・ソロ 2 J72とカリスタ 同時期のスーパーカー 韓国時代のエランも (166枚) 量産車として、一貫した製造品質を維持することは必須だった。国際的な販売へ向けて、規制をクリアし型式認証を得ることも簡単ではなかった。 他方で、パンサーは強気に自動車メディアへ情報を提供。プロトタイプへ試乗したジャーナリストは、強い関心を示した。AUTOCARは、これまでに運転した中で最も操縦性に優れるクルマだと、絶賛している。 1987年のフランクフルト・モーターショーで、パンサー・ソロ 2は正式に発表。会場では、初年度に600台の生産を目指すとうたわれ、その場で数100件もの注文が集まった。 ただし、製造品質の問題は解決しておらず、生産開始の時期は不透明だった。さらに、経営者のヤング・チョル・キム氏の家族が営む系列企業の圧力を受け、パンサーの株式の80%が韓国の自動車メーカー、サンヨンへ売却されてしまう。 筆頭株主となったサンヨンは、開発継続へ消極的だった。ソロ 2の工場は、ロンドンの南西、ウェーブリッジから北東のハーロウへ移転。クルマの生産には不利な場所といえ、最後まで状況が好転することはなかった。
どんなイベントでも話題を集めそうな見た目
苦労の末、本格的な生産態勢が整ったのは3年後の1990年。初期の注文の大半はキャンセルされ、年間100台という目標すら達成は難しくなっていた。英国価格も、1987年の時点では2万8000ポンドだったが、約4万ポンドへ上昇していた。 今回ご登場願ったソロ 2は、1991年式。最後に生産された、記念すべき1台といえる。オーナーは、パンサー・コレクターのボブ・クレア氏。走行距離は1600kmほどと短く、アメリカ・ネバダ州で発見したという。 スタイリングは、かなりユニーク。様々なご感想を抱かれると思う。少なくとも、どんなカーイベントへ持ち込んでも、かなりの話題を集めそうなことは間違いない。筆者が目にしてきた、どんなクルマとも異なる印象を与える。 これを創出した、カーデザイナーのケン・グリーンリー氏は、美しさより機能性を重視している。局面が入り組んだリアデッキには、後付けされたように巨大なウイング。リアバンパーの下部は四角く切り抜かれ、ディフューザーが備わる。 リアのボディシェルを持ち上げると、エンジンルームへ不思議な角度で収まる、フォード・コスワースの4気筒ユニットが現れる。太いパイプで結ばれた、ギャレット社製ターボが中央に見える。冷却系の配置が複雑だ。