ノーベル平和賞、父の遺影抱えた被爆2世「天国で喜んでいると思う」…長崎市役所で授賞式中継見守る
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与された10日夜、長崎市役所には約160人が集まり、授賞式の映像を見て共に喜び、涙を流した。既に亡くなり、この日を迎えることができなかった被爆者の遺族や関係者らは遺影を手に授賞式を見守り、思いを受け継いで核廃絶を目指し続けると誓った。(野平貴、勢島康士朗) 【写真】ノーベル平和賞の証書とメダルを手にする被団協代表委員の箕牧智之さん、田中重光さん、田中煕巳さん(10日午後、オスロ市庁舎で)=東直哉撮影
「一緒に活動してきたメンバーが受賞する姿を、父も見たかったのではないかと思って」。池田早苗さん(2019年に86歳で死去)の長女、佐藤直子さん(60)は、父の遺影を抱え、「受賞を天国で喜んでいると思う」と語った。
池田さんは12歳の時、爆心地から約2キロで被爆。5人のきょうだいを亡くした。長崎原爆被災者協議会(被災協)の理事などを務め、継承活動を続けた。2001年の平和祈念式典では、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた。
佐藤さんは亡くなる直前まで語り部を続けた父の姿を見てきた。命を削りながら活動する姿に、信念の強さを感じた。「今の世界情勢を見ていたら、『これだけ言っているのに、核兵器がまた使われるかもしれない』と怒っていると思う」と思い浮かべる。
佐藤さんは被爆2世として、「長崎被災協・被爆二世の会・長崎」の会長を務めたり、語り部として活動したりしてきた。今回の受賞を機に、被爆者の運動が世界の人に伝わっていくのではと期待も寄せる。
今年からは語り部の他に、「被爆体験を語り継ぐ永遠の会」の朗読にも参加。受賞決定後の講話では平和賞のことにも触れており、「父のように責任感を持って、被爆の実相を継承していかなければならない」と決意する。
長崎平和推進協会理事長の調漸さん(69)は、自身も被爆しながら被爆者救護に尽力した祖父で長崎大名誉教授だった調来助さん(1989年に89歳で死去)の遺影を手に授賞式を見守った。
「被爆医療という形で祖父がやってきたことも今回の平和賞の受賞につながっているはず。祖父もこの瞬間を喜んでくれているのかな」。調さんは何よりも核兵器廃絶を願っていた祖父に思いをはせた。
「長崎の被爆者、平和活動をしてきたみんなでもらった賞だと思う。これからも市民一人一人が長崎の被爆の歴史を背負っていくつもりで、長崎から世界に核兵器廃絶を発信していきたい」と思いを新たにした。