「もののけ姫」で時の人に…20cmヒール靴で隠した低身長 米良美一がアイデンティティ告白で得た“自由”
第1回【ポスト聖子の野望で歌手の道へ… “ド演歌育ち”米良美一が「もののけ姫」を歌うまで】のつづき 【画像】赤ちゃん時代から初のオペラ出演、海外音楽祭での活躍…貴重写真で振り返る「米良美一」の歩み ラジオ歌声を偶然耳にした宮崎駿監督から、「もののけ姫」の主題歌を依頼された――。代表曲と運命的な出会いを果たした米良美一(53)だが、完成までには大きな苦労を伴ったという。自身のアイデンティティを告白したことで「とても自由に生きられている」と笑う米良が、現在の心境に至るまでとは――。 (全2回の第2回) ***
アシタカのサンに対する気持ち
宮崎監督に見初められたものの、その後はとてつもなく大きな困難が伴った。朗々と歌い上げると、「オペラにならないでください」と諭される。宮崎監督からは“この曲はアシタカ(主人公)のサン(ヒロイン)に対する気持ちであり、秘めたる思いであり、祈りでもある”と伝えられた。 「難しかったですね。僕自身はオペラのつもりはなかったですが、朗々と歌ったのがそう聞こえたんでしょうね。悩みましたが、できるだけ気持ちに応えたいと思いました。 宮崎監督はいい意味でこだわりを貫き通される方だから。何度か歌ううちに、監督の思い描くような歌い方ができて、『それ! 最高!』と言ってもらいました」 その喜びは宮崎監督から贈られた色紙にも見て取れる。米良がトトロ、宮崎監督が紅の豚となったイラストに「めらさん江 とってもよかった」とのメッセージが添えられていた。
生活が一変 ヒール20センチの靴を履き…
1997年に公開された映画の大ヒットともに、米良の名前は広く知れ渡った。テレビ出演をはじめ、露出の機会も増えた。先天性骨形成不全症に伴う低身長を隠そうと、ヒールの高さが20センチもある靴を履くようになったのもこの頃だった。 「それまでと打って変わって、テレビ出演やコンサートなどでひと月に20日間以上もあるようになって。仕事はありがたかったですが、自分の心と体は準備できていなかった。なのに有名になりたい、ちやほやされたい思いもあったんです。ほら、僕の場合、これだけインパクトの強い容姿なので、隠しようもないんですけど、『徹子の部屋』に出演した際、黒柳徹子さんにそういう特注の靴を作ってくれる靴屋さんを紹介してもらったんですね」 「もののけ姫」のヒット後には暴行事件も起こし、深く猛省することになった。 後にカミングアウトしたが、当時は自身について語れることと語れないことを分け、素を偽っていたという。 「九州が好きなのに嫌いだった。だから東京まで出てきちゃった。本当は九州に愛されたいと思ってたのに(笑)。結局、今ほど、自分の心がオープンできていなかったんですね。今はもう心の整理ができました。時間はかかりました。混乱もしていたし、自分の真実に対する嘘を自分でついていたし。でも真っ当に生きるというのはそういうことではないと知ったんですね。自分との向き合い方が変われば、出会う人みんなが先生にもなるし、友達にもなると気付かされました」