宮里藍のジュニア仲間が女子プロを目指すまで/横山倫子の半生(前編)
彼女が通った地元・香川県の練習場には、当時では珍しかったスイングを撮影する専用カメラが設置されていて、常にセルフでスイングチェックができた。 理想のラインに合わせて体を動かす。小さいことをコツコツ続けることが好きという横山は、その作業に没頭した。「運動神経のいいお姉ちゃんは、地味な作業過ぎてすぐに断念。私は同じことを続け、徐々に結果が出るゴルフというスポーツに適していたと思います。うまくいかないと父に叱られ、冷たい言葉を浴びせられたり、ボールを投げつけられることもありました。ただ、ゴルフ自体は好きだったので、自らやめることはありませんでした」
ジュニア時代に出会った藍ちゃん&さくら
中学に入った頃には「四国ジュニア」に参戦。成績も残せるようになる。念願だったハーフ30台、トータル70台が出て、父を喜ばせた。だが、全国大会は強豪ぞろい。横山が78で喜んでいた試合に、1歳下で中学生ながら66で回るジュニアが居た。その子こそ、当時全国大会の常連として名をはせていた宮里優作の妹・宮里藍さんだった。
「藍ちゃんとは中学時代に全国大会で顔を合わせるようになり、『日本ジュニア』が行われる前週に栃木県の那須野ヶ原カントリークラブで合宿を行った際、仲を深めることになります。香川西高校からは私1人で参加していたので、合宿地から会場まで移動するのも1人で行こうと考えていたのですが、藍ちゃんが『バスに乗りなよ』と誘ってくれたんです。彼女の東北高校は男子も女子も大勢で来ていて、バスで移動をしていたので『先生に言ってあげるよ、乗りなよ』と。車中で色々な話をし、ご飯も一緒に食べ、行動を共にするうちに仲良くなっていきました」 宮里藍さんと同じ1歳下の横峯さくらも、横山の中には印象的なジュニアとして記憶に残っている。「高知県の明徳義塾高校だった(横峯)さくらとも四国大会でいつも顔を合わせていました」 「ただ、彼女は一風変わっていて、ラウンドの朝にスタート直前までロッカー室に潜んでいる感じで。何時スタート? って声をかけても『んん…』と小さな返事のみ。私たちがレンジで打ち込み、ストレッチを終えてようやく出てくるような状態で、こんなにやる気ないの!? って驚いたことを覚えています。ただ、それでも彼女にとっては四国大会を突破するくらいは余裕だったのだと思います」