宮里藍のジュニア仲間が女子プロを目指すまで/横山倫子の半生(前編)
「キャディやらせてよ」 人生を変えた最高の2週間
横山はその後、ゴルフを続けながらもプロになる夢は持たず、スポーツインストラクターになる夢を抱いて、専修大学に進学する。 運命を変えたのは大学1年のとき。アマチュアとして2003年『ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン』に優勝し、プロ転向した宮里藍さんから声がかかった。彼女がCM撮影などの関東に出向いた際、友人として行動を共にしていた横山は何気なく「キャディやらせてよ」と打診していたのだ。親友の言葉を受け、宮里さんから正式にキャディをお願いされた。
問題だったのは、それが賞金レース真っただ中だったこと。1位の不動裕理を追う形で臨んだ終盤戦「大王製紙エリエールレディス」。「当時はプロゴルフに全く興味がなくて、彼女が賞金女王争いを繰り広げていることも、どんな立場で世間から注目されているかもよく分かっていませんでした。何気ない気持ちでキャディを勤めましたが、たぶんそんなフラットな気持ちが藍ちゃんには好印象だったらしく、プレー中にプレッシャーを感じない関係性を求め、選んでくれたと思います」 宮里藍さんはそこで優勝を果たし、横山は次戦・最終戦の「JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」でもバッグを担ぐ。最終日まで不動裕理と優勝争いを繰り広げ、惜しくも女王にはなれなかったが、まさにツアー史に残る一戦となった。その試合を最後に宮里さんは海外ツアーに乗り出すことになる。 「私にとって運命を変える2週間でした。後にも先にもゴルフ人生で最高な瞬間だったのかも」。これを機に横山の胸中にプロへの意識が芽生え始めた。
《後編「プロテスト合格から苦悩の17年」に続く》 取材協力/大宮公園(埼玉県)