上重聡「1週間ぐらい前から水分摂取を調節して…」日テレ時代に担当していた「箱根駅伝」実況の裏話を語る
藤木直人、高見侑里がパーソナリティをつとめ、アスリートやスポーツに情熱を注ぐ人たちの挑戦、勝利にかける熱いビートに肉迫するTOKYO FMのラジオ番組「SPORTS BEAT supported by TOYOTA」(毎週土曜 10:00~10:50)。5月18日(土)の放送は、フリーアナウンサーの上重聡(かみしげ・さとし)さんをゲストに迎えて、お届けしました。
1980年生まれ、大阪府出身の上重聡さん。高校時代は野球の名門・PL学園のエースとして、1998年の甲子園に春夏連続出場。特に夏の準々決勝で対戦した松坂大輔さん擁する横浜高校との延長17回に渡る熱戦は大きな話題となりました。進学した立教大学では東京六大学リーグで史上2人目となる完全試合を達成。その後、日本テレビでアナウンサーとして活躍され、この春からフリーアナウンサーに転身しました。
◆2024年4月にフリーに転身
藤木:フリーアナウンサーになられて、生活は変わりましたか? 上重:変わりましたね。現在は事務所にも所属せず、マネージャーも置かず、全部1人でやっているんです。ですから大変な毎日ですけれども、スケジュール帳がすっからかんのときの不安と(仕事が)埋まっていく“うれしさ”みたいなものを初めて体験しています。 藤木:ご自身が窓口になっているということは、生々しい“ギャラ交渉”もしなければいけない? 上重:そうですね(笑)。“その苦労も楽しむ”じゃないですけれど、また新たな世界(に踏み込んだばかり)なので、その辺のしんどさも楽しみながらやろうかなと思っています。 高見:(学生時代は)野球に打ち込んでいたなかで、いつ頃からアナウンサーを目指されたのですか? 上重:小さい頃は人前で話すのが苦手というか、どちらかというと嫌いだったんですよ。すぐに顔が赤面してモジモジしてしまって、“友達の前ではよくしゃべるのに……”みたいな感じだったんですけど、甲子園に出場していろいろな取材を受けたりするなかで、自分の気持ちを言葉で伝えることの難しさと面白さ、それに対する反響みたいなところを感じていくうちに“聞く側も楽しそうだな”と。 プロ野球選手になりたくて大学に行ったのですが、3年生のときに肘を故障し、プロ野球は難しいとなったときに真っ先に思い浮かんだのがアナウンサーという仕事でした。