《広島豪雨災害2年》100年に一度の豪雨にさらされた街どこまで復興できたか
2014年8月20日の豪雨による災害では残念ながら多くの方が亡くなる事態が起き、これを教訓に土砂災害の体制整備を大きく見直す対策がとられた。 しかし、2002(同14)年の調査結果によれば、広島県西部山系の直轄砂防事業区域内(およそ広島市全域に廿日市市と大竹市の一部を加えた地域)には土石流危険渓流が、全国最多の約1700箇所存在し、全国の政令指定都市の中で最も多い。その中には、宅地開発や諸事情により砂防堰堤の設置が難しい場所も多く存在する。 また、花崗岩が風化堆積した『まさ土』は、粗い粒子の砂のため、それが堆積した土地は、大雨で崩れやすい地盤となるが、不幸にも今回の被災地はその両方に該当する場所だったという。
今回の被災地では、被災後の用地買収に加え、道路の拡張と整備から始まる復興計画により、今年6月までに砂防堰堤29基が完成した。だが、それはあくまで“緊急事業”であり、今後は恒久対策事業として、更に多くの施設整備計画を行い、防災に努める予定だ。 しかし、広島市とその近郊だけで約1700箇所ある土石流危険渓流や、県内にあるもの全てに対応するのは不可能に近い。今後も想定外の大雨が降れば、いつ災害が起こっても不思議ではないのが実情と言える。
鎮魂
8月20日、豪雨災害から2周年を迎えるにあたり、犠牲になられた方への哀悼と復興への想いを新たに誓うため、市と県の合同で追悼式が営まれた(広島市安佐南区民文化センター)。
災害後に数百人が転居して他に移り住んだが、同じ場所で生活する事を選ぶ住民も多い。緑井8丁目に住む出口正成さん(80)もその一人だ。 2年前のあの日、深夜の停電で真っ暗の中、家が土石流で壊される『ガリガリ、バシャッ』という音で目が覚めた。少し夜が白んで救助隊やマスコミが半壊した家の周囲に集まる頃、やっと状況がわかり避難できたという。 「ここは昔からの地所だし、前は田畑だった場所だけど、行政から建築許可を貰って、住んでもええよ、と言われたんだからワシらにはどうしようもない。」 そう言って、力なく笑う出口さんは、震災後に隣にあった家を改装し、子供と孫の3世帯住居にして穏やかに暮らしている。