「人に崩される前に自分で崩す」…プレステを“世界で最も売れた家庭用ゲーム機”に育てたソニーの流儀
■ 業界に衝撃を与えたプレイステーションの「ゲームチェンジ」 ――著書では「つくれる人」の最終形態として「ゲームチェンジャー」を挙げています。PS事業では、どのようなゲームチェンジを行いましたか。 茶谷 ゲームチェンジャーは既存のルールを変えたり、ルールそのものを新たに作ったりする存在です。PS事業では、他社に先駆けて変化を起こし、ゲーム業界のビジネスモデルを大きく変えました。 例えば、ソフトの記録メディアを「カートリッジ」から「CD-ROM」に替えました。前提として、ユーザーが面白いと思ったときにゲームを供給しないと、すぐにピークが過ぎて売れなくなってしまいます。しかし、カートリッジでは再生産に約3カ月かかるため、売れるタイミングを逃しがちでした。 そこで、CD-ROMに切り替えることで、5日程度で再生産できるようにしました。また、100枚程度の小ロットで製造できるようになったことで、ニーズに合わせたソフトを少しずつ供給することも可能になりました。 ゲームがヒットするか分からない段階で少しずつ供給ができ、製造を低コストで行えるようになったことで、販売するソフトの低価格化にも貢献しました。ソフトを売り切る必要もなくなるため、在庫を気にする必要もなくなります。結果として、カートリッジでは1万円を超えるような大作も、CD-ROM であれば5000円台で楽しめるようになったのです。 ――ユーザーの体験はどのように変えたのでしょうか。 茶谷 それまでは2Dしか表現できなかったグラフィックスを強化し、3Dを使える処理エンジンを搭載しました。ゲームセンターに行かないとできなかった3Dゲームを家庭でも楽しめるようにすることが狙いでした。 また、ゲーム機をネットワークにつなげたことも大きな変化です。従来、複数プレーヤーでゲームを楽しもうとすると、プレーヤー同士がゲーム機のある場所に集まらなければなりませんでした。しかし、ゲーム機がネットワークにつながることで、プレーヤーが離れた場所にいてもネットワークを通じてゲームをプレーできるようになりました。 加えて、ネットワークでデジタルコンテンツの配信を始めたことによって、従来はディスクで配布していたゲームのお試し版をネットワーク配信できるようになったり、サブスクリプションのような形で楽しんでもらったりすることも可能になりました。