藤井 風の歌詞にはなぜ“愛”が溢れている? デビューから現在まで一貫しているスタンス
藤井 風が7月26日に新曲「Feelin' Go(o)d」をリリースした。「4つのシングルをリリースした後の、かわいいデザートみたいな曲になりました。」(※1)という本人のコメントしている通り、純粋なる心地よさを追求したようなポップな1曲である。そんな軽やかな聴き心地を持つ一方、そこに込められた想いは意外にも壮大だ。 【画像】カラフルな衣装で導く藤井 風 この曲は小気味よい曲調の中で大きな愛の存在を捉えようとする。〈愛ではじめ/愛で終えて〉というフレーズからも“愛”こそを信じる姿勢が映し出され、これは近年の楽曲で歌ってきたことにも一貫している。本稿では彼の描く“愛”とはどんなものなのかを考えてみたい。 2022年リリースの「ガーデン」では自分の人生を庭に喩えつつ、〈ふりまいた愛だけ/豊かになる庭で〉と歌う。また「旅路」では〈これからまた色んな愛を受けとって/あなたに返すだろう/永遠なる光のなか/全てを愛すだろう〉と歌う。藤井 風にとって愛とは受け取っては与えるものであり、関わるもの全てに注がれるもののようである。 そして「それでは、」では〈愛がただ/大きなその手を広げ待つ丘は/まだまだ/靄が邪魔をするけれど〉と歌い、愛に辿り着く難しさを知っているからこそ、愛することの重要さを描こうとしているように見える。これらの楽曲が収められたアルバムのタイトルは『LOVE ALL SERVE ALL』。“全てを愛し、全てに仕えよ”を意味するこの言葉は、まさに彼の追い求めている姿を言い当てているように思う。 これらの楽曲から見えてくる藤井 風が描き続ける“愛”とは、全てを包み込むような人と人との関わり、そして思いやりのことなのだろう。「まつり」では〈愛しか感じたくもない/もう何の分け隔てもない〉と歌い、「きらり」では〈何のために戦おうとも動機は愛がいい〉と歌う。「やば。」では〈返してほしい 愛してほしい/そんなの愛じゃなかった〉と愛を自分本位に求める姿を否定し、時に極端すぎるほどの表現を用いて理想とする愛の姿を歌うのだ。 そして彼の描く“愛”は他者に向けたものだけではない。2022年のシングル「grace」には〈愛に従うのならば/出来ないことなど/何もないさ〉とあり、自らを導く愛の存在が謳われる。この曲は〈あたしに会えて良かった/やっと自由になった〉という一節からも分かる通り、自分自身を慈しむこと、自分の中にある自分への愛を信じることを歌った曲である。この点は〈心配いらねえ/大丈夫だって/僕の中の君が言うだけ〉と歌う「Feelin' Go(o)d」にも通じている。 他者に愛を向けるために、自分自身を愛する重要性を近作で彼は説く。時にナルシシズムと混同されがちな“自己愛”も、健全に表出することは他者への思いやりへと繋がっていくものだ。自然なままに、根源的な安心感を得られる。自分も他者も穏やかに思いやりを感じられる。それこそが藤井 風の描く“愛”の姿なのだろう。