藤井 風の歌詞にはなぜ“愛”が溢れている? デビューから現在まで一貫しているスタンス
藤井 風が描く“愛”の変化
1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』の時期の楽曲に目を向けると、現在の博愛的なイメージとは異なる、狭い関係性の愛を描くことが多かったことが分かる。 「死ぬのがいいわ」では〈鏡よ鏡 この世で1番/変わることのない 愛をくれるのは だれ /No need to ask cause it's my darling〉と他者からもたらされる愛を拠り所にした悲恋を描き、「さよならべいべ」では〈さよならがあんたに捧ぐ愛の言葉〉と別れの瞬間にこそ滲む愛の存在を描いていた。この頃は身近に感じられる“小さな愛”を起点に表現していたのだろう。 しかし「優しさ」には現在の“大きな愛”を連想する表現がある。〈置き去りにした愛情を 探しに帰って/温もり満ちた感情を いま呼び覚まして〉〈凍えた心が愛に溶けてゆく/花の咲く季節が戻ってくる〉とは、他者からの愛を初めて実感し、自分自身への愛を思い出す一節に思えるのだ。 2024年3月リリースのシングル「満ちてゆく」は藤井 風にとって“人生で初めてのラブソング”であり、初期の“小さな愛”から現在の“大きな愛”が地続きであることを示す楽曲だ(※2)。〈無駄にしてた“愛”という言葉/今なら本当の意味が分かるのかな〉と自らを振り返りながら〈愛される為に/愛すのは悲劇〉と言い切り、無我の境地のような愛について歌っている。 「満ちてゆく」MV 自分も他人もなく求めるよりも〈手を放す〉ことで〈満ちてゆく〉と歌うこの曲の愛の形は一種の悟りのようにも思える。在/不在や生/死を飛び超えた、分け隔てのない眼差しがオーソドックスなラブソングとは大きく異なる点だ。彼の歌う愛の射程距離は留まることを知らない。 そして改めて「Feelin' Go(o)d」である。この曲の〈心は言葉を失くして/感じられるは愛だけ〉とは、まさしく藤井 風が強く望むフィーリングなのだろう。語らずともそこに漂う愛。その存在を音楽を通して感じさせてゆく。きっとどこかで繋がっているという実感が不安定な時代を生きる我々の心をそっと軽くするのだ。 他者との関わりに傷つき、自分を思いやることが疎かになりがちな現代人にとって藤井 風の歌は、本来そこにあるはずの、あるべきはずの愛に気づかせてくれる。この“愛への導き”は多くの人が彼の歌に魅了されている理由の1つだろう。 ※1:https://realsound.jp/2024/07/post-1729229.html ※2:https://realsound.jp/2024/03/post-1597564.html
月の人