クリント・イーストウッド監督「陪審員2番」…人はなぜ間違うのか、浮き彫りにする法廷ミステリーの逸品
のっぴきならない状況にどんどん追い込まれていくスリリングな展開を補強するのは、俳優たち。キーファー・サザーランドが演じる断酒会の男や、J・K・シモンズをはじめとする演技巧者たちが演じる陪審員たちのリアルな存在感が、物語の迫真性を高める(陪審席には日本人俳優の福山智可子も)。バッソが演じる被告の言動も心に刺さる。
そして何より、主役のホルト。内なる葛藤をどんどん膨らませていく様子を、ふとした表情や動作に、自然に、巧みににじませる。押さえつけてもはねあがる動揺のしっぽを絶妙なさじ加減で見せる。クリス・メッシーナが演じる被告側弁護士と、トニ・コレットによる検察官が眼前で火花を散らすのを、平静を装って見つめるシーンなどでは、見ているこちらまでいたたまれない気持ちになってくる。
ただ、この映画、そうしたスリルやサスペンスを味わわせるだけでは終わらない。見るほどに浮かび上がってくるのは、刑事司法の落とし穴。なぜ人は間違ってしまうのか、ということだ。
原因は別に小難しいことではない。捜査や公判にかかわる人々が、本来の仕事に全力できない状況に陥っている。陪審員や証言者が、知らず知らずのうちにさまざまなバイアスに支配されてしまっている。善意の言動の裏側に偏見や自己愛が潜んでいる……。
そうしたことは、実は多くの人にとって身近なこと。イーストウッドは、ありふれた「異常な日常」を映画でありありと描き、見る者の目をひらく。その手さばきの見事さ、まなざしの確かさが、本作に限らず、彼がつくる映画に底知れない魅力を与えているのだと改めて思う。法の女神のイメージを今一度思い出させる終幕も鮮烈だ。
本作は、ワーナー・ブラザース・ディスカバリーが展開する動画配信サービス「Max」のオリジナルと銘打たれている。Maxと提携するU-NEXTが、米Maxサービスでの配信と同じタイミングで、日本での独占配信を開始した。加入者ならば、10月下旬にロサンゼルスで開催されたAFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)映画祭でのプレミア上映から間を置かずして見られるわけだ。配信だから当然、好きな時に見られるというメリットもある。