ギャルモデルから“経営者”になった32歳女性。「やりたいことを貫き通す」不屈のギャルマインドを糧に
学生時代、クラスや学年に一人はいた「ギャル」という存在。大人になった彼女たちは、一体どんな人生を歩んでいるのか? 子役からギャルモデルに転身し、一般企業に勤める会社員を経て“起業”した西真央さん。順風満帆では決してなかったが、現在はビジネスの世界で邁進中。 ⇒【写真】ギャル時代の西さん 今回は、そんな西さんが培ってきた「なりたい姿になる」という不屈のギャルマインドに迫る。(記事は全2回の2回目)
「なりたい姿になる」を経営者として実現
「どうしてギャルはいつも明るいんですか?」という筆者の質問に対して、西さんは「なりたい姿になっているから」と答えた。 「派手にしたい、表現したいという願いを押さえつけられていないので。やりたいことをやってるし、自己実現ができているんです」 そんな彼女は現在、株式会社アンドエーアイの代表取締役社長を務めている。きっかけは、美容系通販会社の会社員時代に「これからはアプリの時代が来る」と確信したことだったと話す。 「会社でもアプリ事業を始めるように勧めたところ、『うちはWebだから』と断られてしまって。それなら自分でやろうと会社を辞めて、26歳で起業しました」 やりたいことを貫き通す、不屈の“ギャルマインド”を持つ西さん。 そんな彼女がギャルに目覚めた理由は、高校生の頃にギャル雑誌を読んで衝撃を受けたからだという。
黒ギャルモデルに憧れて、海の家で働きながら「天サロ」
「雑誌を見て、肌が黒い、いわゆる“黒ギャル”のモデルに憧れたんです。写真を切り取って、コルクボードに貼って眺めるくらい好きでした。それで、私も肌を真っ黒に焼くことにしたんです」 しかし、肌を焼くにはお金がかかる。そこで当時高校生だった西さんは、地元の兵庫県・須磨にある海の家でアルバイトをすることにしたという。 「一言で“ギャル”と言っても、いろんなタイプの子がいて。たとえば、クラブに行って音楽を楽しむ子、パラパラをコンビニの前で踊る子、みんなで集まってなごむだけの子……私はどちらかと言うと、アクティブ派。海の家は私にぴったりだし、肌も黒くなるし、一石二鳥でした」 海の家で働きながら、日焼けサロン代を浮かせて“天サロ”(※ギャル用語で、天然の日焼けサロン)していたという西さん。海の家が彼女にもたらしてくれたものは、他にもあったそうだ。 「海の家で働いていた時に知り合ったのが、ある社長でした。彼の会社がアルバイトを募集していて、そこで働かせてもらうことになったんです」 大学に進学した後も、その会社でアルバイトを続けていた西さん。しかし、彼女が大学3回生の時に、ある事件が起こった。