今日引退会見。幼い頃は稽古を偽装したことも…万人に愛された豪栄道が貫いた侍相撲
嫌で仕方がなかった相撲に、心底、のめり込んだのは、名門埼玉栄進学を決めた頃からだ。中学3年の9月は、180センチ、80キロのどちらかと言えばまだ細身だった体を卒業までに30キロ近く増量した。卒業間近になって、もう着ることのない制服を新調しなければならないほど一気に体が大きくなった。 埼玉栄相撲部の“名伯楽“山田道紀監督の指導で、高校横綱など高校11冠を獲得し、05年初場所で初土俵を踏む。07年秋場所で新入幕を果たし、三賞は殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞3回を手にし、通算696勝493敗66休を積み上げた。 同級生の妙義龍ほか、貴景勝、北勝富士、大栄翔ら多くの幕内力士を輩出した名門、埼玉栄OBの出世頭として知られ、「花のロクイチ組」と称される稀勢の里(現荒磯親方)、栃煌山、妙義龍、宝富士、徳勝龍勢に加え、外国出身でも碧山、魁聖らとしのぎを削った。 ここ2、3年は、体力的な衰えを感じており「昔は稽古で40、50番、平気で相撲とれたけど、最近は20番とったら、きついね」などとこぼしていた。 しかし、場所中や、支度部屋で痛い、かゆいは、まず口にしない。 昨年の九州場所で負傷した左足首の靱帯は断裂した状態のまま。一時は歩くのも困難だったが、泣き言も言わず土俵に上がり続けた。 ただ、母の真弓さんにだけは「どっか痛いの?」と聞かれると「そら全身痛いよ」と本音を漏らしていたという。 強面で、ぱっと見は近づき難い雰囲気だが、誠実で、大阪人らしく気さくな面があり、ファンや報道陣に愛されるキャラだった。好きな野球、ボクシングの話になると喜々とした。大阪出身ながら阪神ファンではなく巨人ファン。試合結果は、常に「DAZN」でチェックし、評論家顔負けのポイント解説を聞かせてくれた。ボクシングは、ヘビー級やミドル級の重量級が好みで、WBC世界ヘビー級王者のデオンテイ・ワイルダーや、ミドル級のサウル“カネロ”アルバレス、ゲンナジ―・ゴロフキンらトップボクサーの試合をチェック、元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者、内山高志氏の試合会場に足を運んだことも。ファン、各界関係者に、マスコミに愛され、そして、応援された相撲界の侍が惜しまれながら土俵にサヨナラを告げた。