「~してあげる」4歳娘の発した言葉から感じた日本の大問題 日本の福祉にも刻まれた「上下関係」への違和感
体が動かない。言葉も発せない。だから何かをしてあげてもお礼を言われることはない。それなのに、名里さんはその人のそばにいて、その人が何を感じ、何を幸せだと思うのかを全力で感じ取ろうとしていた。 彼女のような人たちは介護従事者と呼ばれる。介護従事者は、社会的に見て高い地位にある人たちとは言いがたい。 でも、彼女ら/彼らがいなくなった瞬間、重い障がいを持つ人たちは、他者との関わりから切断され、ひとりぼっちの存在になってしまう。そばにいることで人間の尊厳を精いっぱい守ろうとする仕事。介護の現場で働く人たちは、本当にすごい人たちだ、と思う。
■私が心の危機を乗り越えられた理由 だが、このすばらしい物語は、心ある専門家の専売特許ではない。思えば、私自身、身近なところで同じような体験をした。 私は、2011年に脳内出血で生死の境をさまよい、2019年に母と叔母を火事で亡くす不幸に見舞われた。絶望の淵に立たされていたが、節目、節目を思い出してみると、連れ合いの穏やかな表情がまぶたに浮かんでくる。 当時の私は、毎晩、深夜まで、彼女に思いの丈をぶつけていた。正直、話した中身は、ほとんど覚えていない。だけど、彼女は私のそばにいて、文句も言わずに、黙って話を聞いてくれていた。この時間があったから、私は、心の危機を乗り越えることができた。
人間は温かな生き物だ。困っている人がいれば、悪い状況をいい状況に変えたくて、何かをしてあげたくなる。 もちろん、目の前の人に働きかけ、何かを変えることは大切なことだ。だけど、ただそばにいてもらえるだけでも、私たちは生きる力を手にすることができる。 人は誰しもが歳をとり、子どもたちに、仲間たちに、大なり小なり助けられて生きていくことになる。だから、「共にある」ことのすばらしさ、そのとてつもないエネルギーを、私たちはもっともっと分かち合っておきたいな、と思う。