「~してあげる」4歳娘の発した言葉から感じた日本の大問題 日本の福祉にも刻まれた「上下関係」への違和感
日本は不思議な国だ。母子家庭の母親が働きに出ると貧困率があがってしまう。なぜなら、パート労働をはしごして稼ぐお金より、生活保護で受け取るお金のほうが多いからだ。 働くと貧しくなる。なのに、母子家庭の母親の就労率は先進国トップクラスだ。フランスやスウェーデンでは、生活保護の対象者の8~9割は制度を利用する。でも日本の利用者は2割にも満たない。救済されることは、権利ではなく、失格の烙印のようにうつる。
「してもらうこと」は「情けないこと」。だから、私たちは誰かに頼ることを恐れる。お金を必死に貯めて、サービスを「買おう」とする。「してもらう」ではなく「させる」ために。金で片づける能力を持つ人たちを私たちは「自立した人間」と呼ぶ。 ■「生活保護=public assistance」に込められた意思 ここで新たな疑問が浮かぶ。私が娘の「してあげる」に違和感を覚えたのは、日本人らしさからなのだろうか? それとも、どの国でも、事情は似たり寄ったりなのだろうか。
試しに「生活保護」という言葉を見てみる。英語ではpublic assistanceだ。assistanceの語源をたどってみるとラテン語のassistereであり、stand by、take a stand near、つまり「そばにいる」という意味が込められている。 publicの語源はpopulusであり、popularやpeopleと同源だ。現実の制度はどうであれ、英語圏では、垂直的な関係ではなく、「人びとがあなたのそばにいる」という水平的なつながりへの意思が言葉のなかに込められている。
そばにいるということ。してあげるのではなく、人びとが共にあるということ、私にとって、この違いはとてつもなく大きい。 社会福祉法人「訪問の家」の理事長である名里晴美さんは、重たい障がいを持つ人たちと「共にあろう」とする、私の大切な友人だ。他愛もない話をしていたときだった。彼女は僕にこういった。 「重度の身体障がい、知的障がいのある利用者さんで、身の回りのことは、ほぼ、どなたかのお世話になる人なんですけど、テレビで『嵐』が出てくると口角(唇の両わき)が動くんですよね。自信はないけど、たぶん彼女は、大野(智)さんが好きなんだと思うんです」