「仕事と割り切っていたら、あそこまで感情をむき出しにすることはない」鹿島アントラーズ電撃解任のポポヴィッチ監督が、契約解除前に語っていたサッカー哲学とは
「フットボールは私の人生そのもの。仕事と割り切っていたら、あそこまで感情をむき出しにすることはない」
10月6日(日)、鹿島アントラーズのランコ・ポポヴィッチ監督の契約解除がニュースに流れた。常勝軍団と言われた鹿島の復権を託され今季就任し、シーズン残り6試合を残した段階でリーグ戦は4位。今季も無冠が濃厚となっていた。指導者向け専門誌『サッカークリニック』では、契約解除のニュースが流れる前に、ポポヴィッチ監督に指導者としてのサッカー哲学を聞くインタビューを行なっていた。鹿島の監督は解任となったが、これまでも変わらず、そしてこの先もおそらく変わることのないポポヴィッチのサッカー哲学とは。(引用:『サッカークリニック 2024年11月号』) 【写真】選手時代、ヨーロッパの大舞台で世界的ストライカー・ロナウドとマッチアップしたポポヴィッチ(Photo:Getty Images) 取材・構成/岡島智哉(スポーツ報知) |人生経験は、監督としての指導に大いに活きている 私は、仕事で監督を務めている感覚はありません。フットボールは私の人生そのものであり、仕事とは捉えたくないのです。それが、私のフットボールに対する姿勢です。お金持ちになれるから、名誉を得られるからといった理由で、フットボールを始めたわけではありません。サッカーが大好きだったから、ボールを蹴り始めたのです。仕事と割りきっていたら、あそこまで感情をむき出しにすることはないでしょう。 私は、クラブで一緒に働いている仲間との会話、コミュニケーションを大事にしています。単なる仕事と捉えていたら、彼らが元気かどうかなんて気にならないはずです。自分がやるべきことを淡々とこなせば良いだけです。しかし、監督というポジションは、それではうまくいきませんし、成功できないと考えています。彼らが良い仕事をする状態にあるかどうかを確認することも大切なのです。 UEFAチャンピオンズリーグの舞台に立つことが、私の小さい頃からの夢でした。自分もいつかあの舞台に立ちたいと思いながら、毎日、外で10時間もボールを蹴り続けました。テレビがまだモノクロで、試合の放送は週に1回だけだった時代の話です。 プロフットボーラーだった父の弟に追いつきたい、追い越したいというモチベーションが、私を駆り立てました。叔父の存在が、私を成長させてくれたのです。 私が育った旧ユーゴスラビアは、18歳から1年半ほど、徴兵される制度がありました。その時期はボールを蹴ることができず、軍隊から戻ったあとは、5部リーグからスタートしなければなりませんでした。 父が亡くなっていたため、私が、一家の大黒柱として、家計を支えました。力仕事で稼ぎながら、アマチュア選手としてプレーしました。トラックからコピー用紙の荷下ろしをする力仕事に従事したのです。いろいろな場所にトラックを横づけし、5キロから70キロまである用紙を運び込みました。私の筋肉は、ジムでつけたものではなく、その仕事でついたものです。 少しでも早い時刻に仕事を終わらせることを考えていました。与えられた量の運搬を早めに終わらせ、トレーニングまでの間に、少しでも長く休憩をとるためでした。夜のトレーニングに良いコンディションで臨むことを意識していたのです。 国内の2大クラブであるパルチザンとレッドスターから、同じ日に獲得オファーを受けたのは、その2年後のことでした。オーストリアのシュトゥルム・グラーツでは、UEFAチャンピオンズリーグに3シーズン連続で出場。レアル・マドリード(スペイン)やインテル(イタリア)などと対戦し、元ブラジル代表のロナウドとマッチアップしました。 このような人生経験は、監督としての私の指導に大いに活きていると思います。そうした経験ができたからこそ、フットボーラーとしての自分自身を証明できたからこそ、選手に数多くのものを伝えられるのだと考えます。「たとえ才能に恵まれていなくても、努力次第で上にいけるんだよ。テクニックが抜群ではなくても、高いレベルでプレーできるんだよ」と、自信を持って、話すことができます。 |現状に満足させないように導くのが、我々指導者の役割 私が夢をかなえられたのは、選手としての能力が高かったからではありません。ぶれることなく、1日1日を大切にしながら、全力を尽くしたからこそ、夢が実現したのです。今の鹿島アントラーズには、当時の私よりも高い能力を持った選手がたくさんいますが、彼らにも、常に全力を尽くす姿勢を求めています。 楽なところに逃げたら、選手としての成長はありません。現状に満足してはいけません。そうさせないように導くのが、我々指導者の役割なのです。 好きであろうが嫌いであろうが、こなそうと思えば、こなせるのが仕事です。しかし、私にとってのフットボールは、そういうものではありません。私のフットボールに対する情熱、パッションは、相当なものがあります。 試合や練習に足を運んでくださるファンやサポーターの皆さんの中には、遠くから来ている人が数多くいるでしょうし、その日しか来られない人もいることでしょう。我々は、彼らのリスペクトにしっかりと応えなければいけません。 フットボールは単なる仕事と考えているとすれば、私は、トレーニングが終わったら、すぐにロッカールームに引っ込むでしょう。練習公開日にファンサービスを毎日行なうと決めているのは、ファンやサポーター、そして、クラブへのリスペクトがあるからです。 私は、SNSをやりませんが、クラブのエンブレムにキスする写真を投稿すれば、クラブ愛をアピールすることができるかもしれません。しかし、クラブ愛とは、そういうことではないんです。クラブに対する敬意や愛情の大きさは、普段の振る舞いと言動から感じてもらうものだと思います。 ファンやサポーターの皆さんの期待に応えようとする姿勢が一体感をつくり出し、それが、勝利を呼び込むのだと考えます。そういう姿勢が、目標を達成する上での大切な要素になるのです。ただし、目標を達成するには、毎日の積み重ねが大事。決して、1日でなし得られるものではありません。その日に発揮できる100パーセントを出しきる姿勢が大切なのです。 全力を出せる選手は、必ず成長します。私自身も、指導者として、ピッチで全力を出しきることを常に意識しています。 PROFILE ランコ・ポポヴィッチ 1967年6月26日生まれ、セルビア(旧ユーゴスラビア)・コソボ自治州出身。現役時代は、センターバックとして、パルチザン(当時、ユーゴスラビア)やシュトゥルム・グラーツ(オーストリア)などでプレーした。グラーツ時代に、UEFAチャンピオンズリーグを経験。98-99シーズンから、3大会連続で計15試合に出場した。選手兼監督を経て、指導者に専念することになったあとの2006年にサンフレッチェ広島のコーチを務め、その後、09年に大分トリニータの監督、11年にFC町田ゼルビアの監督、12年と13年にFC東京の監督、14年にセレッソ大阪の監督を歴任。14年と15年には、スペイン2部リーグのレアル・サラゴサを率いた。さらに複数のクラブで監督を務めたあと、20年に再び町田の監督に。今季から鹿島アントラーズを指揮し、10月6日に契約解除となった
サッカークリニック編集部