ペーパー型入試は超公平、大学「年内入試」の盲点 学校推薦型・総合型選抜の合格者が半数超に
知的な水準を保障してきた日本の大学入試
こういった大学入試をめぐる騒動に、日本も巻き込まれていくのであろうか。 推薦入試などは、日頃のコツコツした勉強を評価するため、一発で決まるペーパー入試よりもいいと思う方も多いかもしれない。しかし、具体的な日数は明かせないが、少しの欠席があれば、その時点で推薦は絶望的となる。うかつに病気もできない。中間期末の試験でよい成績をとるべく頑張る3年間のプレッシャーを考えると、学生が気の毒になってくる。 そして学生はおそらく「そつなくつねにコツコツと努力することが人生において重要である」と学ぶのだろうが、それは現在のグローバルな社会の対極をいく人間像のようにも見える。 何よりも年内入試である。先にも書いたように、これはもう「親の入試」である。親がいかに子どもをプロデュースしたか。その財力と知力に基づいたゲームである。 今なら海外経験を毎年積んで、生きた英語を学ばせるだろう。「フランスのルーブル美術館で、こういうことに感動しました」「東南アジアで、ボランティアを立ちあげて多くを学びました」「実際に多くの異文化に触れて、多様性と寛容性を学びました」。こうしたことは、子ども1人で経験することも、計画することもできない。 それに多くの子どもは、実際には総合型入試専用塾に通って対策をしている。判で押したような、前もって準備してきたような小論文の答案が出てくることもある。また入試業務をしていると、おそらくこういった塾の業者が、受験生と父母を装って論文の書き方などを聞いてくるのに出くわすことさえある。 個人的には、従来の日本の大学入試は、非常に公平であり、また日本の知的な水準を保障してきたと思う。例えば、多くの人が、暗算でその場でおつりを計算できるというのは、すばらしいことである。先にあげたアメリカの入試の例は、アメリカの一部のエリートの場合であり、大部分の人間は基礎的な教育からこぼれ落ちている。 日本では、高校までの授業をきちんと理解さえしていれば、普通に教科書と参考書で勉強するだけで、ほとんどの大学に合格することができる。極端な話をすれば、東大も例外ではないと地方の公立高校出身の私は思う。 それまで勉強をさぼっていたり、趣味に打ち込んでいたり、たとえ「ぐれて」いたりしたとしても、勉強をして試験に通りさえすれば、過去は一掃され、新しい未来が開けるのである。 教育社会学者の竹内洋氏は、アメリカのトーナメント型選抜と比較して日本のこれを、そろばんになぞらえて一発逆転が可能な「御破算型選抜」と呼んでいる※3。これこそむしろ「ドリーム」と呼ぶにふさわしい、再チャレンジ可能なシステムだったのではないだろうか。 ※3 竹内洋,1991, 「日本型選抜の探究:御破算型選抜規範」,『教育社会学研究』49:34-56. (注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)
執筆:武蔵大学 社会学部教授 千田有紀・東洋経済education × ICT編集部