【プロ野球中継70年 SPECIAL INTERVIEW】亀梨和也(KAT-TUN) 夢と憧れと―― 野球への変わらぬ想い「早くから球場に行って練習姿を見る。そこでたくさんのことを感じさせてもらっています」
没頭した少年時代
亀梨和也[KAT-TUN]
1953年にプロ野球中継が開始されてから今年で70年。そんなメモリアルイヤーに特別インタビューが実現した。登場するのはアイドルの枠を超え、スポーツキャスターとして野球の魅力を発信し続けている亀梨和也さん。これまでとこれからの“野球人生”をたっぷり語ってもらった。 取材・構成=小林篤 写真=阿部卓功 幼いころに好きだった野球選手はイチロー(当時オリックス)や松井秀喜(当時巨人)。芸能界で輝く彼も、スタープレーヤーに憧(あこが)れを抱く一人の野球少年だった。スポーツキャスターとしての活動の話を聞く前に、まずは野球との出合いを語ってもらった。 ──亀梨さんは野球とどのように出合われたのでしょうか。 亀梨 父がプロ野球中継をよく見ていたので、物心ついたころから野球は身近な存在でした。近所のお兄ちゃんたちのキャッチボールに参加させてもらうこともありました。そして、小学1年のときに親にお願いして地元の野球チームに入ったんです。 ──そのときから、亀梨さんご自身も野球中継を見る生活が始まったのですね。 亀梨 やり始めてからはどっぷりとハマっていきましたね。学校から帰るとすぐバットを握って素振り。夜は野球中継を見て、また素振りにシャドーピッチング。父も仕事の合間を縫ってキャッチボールに付き合ってくれました。『がんばれ! クワタくん』や『かっとばせ! キヨハラくん』などの野球漫画を読んでいましたし、小学生時代は野球ばかりでしたね。 ──小学6年生のときには、軟式野球の世界大会に出場されたそうですね。 亀梨 世界大会が地元の江戸川区で行われたのですが、開催地枠の江戸川区選抜に選ばれたんです。そのころは主にセカンドとショートを守っていて、世界大会ではセカンド。メキシコ代表にサヨナラ負けしたことを今でも覚えています。 ──そうなると、将来の夢はもちろんプロ野球選手でしたか。 亀梨 そうですね。でも、小学生のときは将来の夢に「オリンピックのJAPAN代表に入る」とも書いていたんですよね。当時まだプロ選手が代表入りする前のアトランタ五輪(1996年開催)を見て『JAPAN』にも憧れていました。 ──当時はどういう野球少年でしたか。 亀梨 「泥臭くない野球少年」です(笑)・・・
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週刊ベースボール