東大出身者が出世するのは 「学閥のおかげ」ではない ――元文部次官が語った東大卒と私大卒の「決定的な差」とは?
「学閥」のまぼろし
俗耳に入りやすい説明として、「学閥」主犯説がある。東大法科出身者が「学閥」を形成し、えこひいき的に同窓の者を引き立て、私学出身者を差別または排除している、という説である。 この「学閥」主犯説に検証と批判を加えた者がいる。文部次官を務め、東北大や京大の総長も務めた、澤柳政太郎である。澤柳は、1909年に刊行した『退耕録』という書物でこの仮説を徹底的に否定し、東大法科出身者が他を圧倒する理由を解説した。
澤柳によれば、政府内部に東大法科閥など存在していない。そもそも東大法科には一学年数百人の学生がおり、ほとんどがお互い話したこともなければ名前すら知らない。大学に入っても交友は概ね同じ高校の出身者に限られ、卒業年が同じでも顔を見たことがある程度の関係で終わる。だから、私学出身者の出世を妨害する東大法科閥など形成されるはずがない。これが澤柳の第一の主張である。 ではなぜ、東大法科出身官僚は現実問題として順調に出世し、私学出身官僚はそうでないのか。澤柳は「私立学校出身者はたとひ文官高等試験に及第しても其官途に於ける発展は極めて遅々たるものである。中央の官衙(かんが)に於ては殆ど私立学校出身者にして相当の位地にあるものはない」と述べ、私学出身者が出世しない、もしくは出世が遅いことを公然と認める。 しかし、それは「学閥」が迫害するからではない。単純に、東大出身者と私学出身者の「実力」が違うからである。私学出身者にとっては文官高等試験合格がその能力の限界であるのに対し、東大出身者にとっては試験合格など当たり前、その後が真の勝負である。「私立学校出身者は高等文官試験の及第に於て其能力発達の頂点に達したものと見るべく、大学卒業生にありては猶前途に発達の余地の存する状を窺ひ知ることができよう」。 東大法科出身者は「学閥」に庇護されるからではなく「実力」があるから出世する。逆に、私学出身者は「学閥」に排除されるからではなく「実力」がないから出世しない。それだけの話だというのである。