考えに行き詰まった時こそ「ムダ話に興じる」ことの意外な効能
異文化を取り込む
同じことをしていない人との談笑が豊かなアイディアの温床である。 聞いているほかの人が自分のしていることをよくは知らないと思うと、不思議な自信がわいてくる。自分の分野に関しては、"お山の大将"の気分である。心がはずむ。調子にのって、よくも考えないことまでしゃべる。自分でもびっくりするようなことがある。はなはだ創造的で、なによりたのしい。 『アイディアのレッスン』より
批判的議論を避ける
だいたいが同学の人たちだと、どうしても話が小さくなる。微妙なおもしろさはあるが、目を見張るような発見とは縁遠くなる。 どうしても防衛的になる。批判的になりやすい。創造のエネルギーははじめから乏しいが、話し合っているうちに、いよいよ弱くなる。 互いにシロウトである人たちの乱談がもっともクリエイティヴであるように思われる。 『乱談のセレンディピティ』より
乱談の中の兆候をとらえる
自分でもそれまで考えたことのないことが、乱談のスクランブルで飛び出すことも少なくない。自分ながら、ひどく"おもしろい"と思う。乱談でないと経験することのできない"おもしろさ"である。 この"おもしろさ"を大切にしないといけない。一時的なこととして忘れてしまうことが多いようだが、人生において、もっとも、価値のある思いであるということもできる。そのおもしろさ自体は、発見ではないが、その前触れなのである。 『乱談のセレンディピティ』より
笑いの起こる場をつくる
うまく乱談の場をつくることができれば、われわれは半分、ひとの力の触発によって、いくらでも発見に近いことを起こすことができる。創造的乱談かどうかは、その場の笑いによってはかられる。 知的笑いは、小発見の前ぶれのようなもので、貴重である。専門家の研究発表は、笑いたくても笑うことができない。気のおけない小グループの談笑はときとして発見の前触れになる。笑いは知的爆発のあかしのようなもので、決して不真面目ではない。 『乱談のセレンディピティ』より