考えに行き詰まった時こそ「ムダ話に興じる」ことの意外な効能
どれだけ本から知識を詰め込んでみても、それだけでクリエイティビティを発揮するのは難しいかもしれません。興味深い発想は、思ってもいないところから湧いてくるものです。発想力を鍛えるために重要なコミュニケーションについて、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが紹介します。 ※本稿は、外山滋比古著「こうやって、考える。」(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「おしゃべり」で賢くなる
過去のことを知るには、本を読むのがもっとも有効であろう。しかし読書は、後ろ向きの頭をつくりやすい。本を読めば読むほど、ひとの考えを借りてものを見るようになる。 余計なことは考えず、ただ、浮世ばなれたことを話し合っていると、本を読んでいるときとはまったく違った知的刺激をうける。もともと人間はそうなっているのであろう。そういう"おしゃべり"で賢くなり、未知を拓いてきたのである。 『乱談のセレンディピティ』より
談論を軽んじない
乱談は、"おもしろさ"を生む。"おもしろいこと"を見つける力をもっている。 いくらすぐれた本を読んでも、心を許した仲間と心おきなく語り合う、おしゃべりにまさるものはないように思われる。読書と談笑はまったく別の世界で、古来、読書を大切にし、談論を軽んじたのは、間違っている。談話やおしゃべりをゴシップと混同しておこった誤解がいつまでも生きのびているのは情けない。 『乱談のセレンディピティ』より
知性は「話しことば」に現れる
話すことは、読むことより容易であるように考えるのも、教育のつくり上げた迷信である。何でも話せるわけではないが、文章にするよりはるかに多くの深いことを伝えることができる。 もちろん、愚にもつかぬ"おしゃべり"が多いけれども、本当の心は、文字ではなく、声のことばにあらわれる、ということを理解するのは、いわゆる教養以上の知性を必要とする。 『乱談のセレンディピティ』より
浮世離れする
人の名前を出すと、ゴシップや、かげ口になりやすい。なるべく人の名を出さない。できるだけ、あった話ではなく、未来に向かって浮世ばなれたことを、みんなでつつき合ってたのしむ。そうすると、めいめいの頭のはたらきが、はっきりよくなる ―そういう仮説のもとに心おきなく、何でも思ったことをしゃべる。おそらく、こんなに楽しいことはほかにあるまい、と思われる。 『知的生活習慣』より