【毎日書評】自分の生き方をデザインする「お金」の使い方・減らし方
お金はもともと仮想のもの
「お金」を知らない人はいない。子供でも知っている。幼稚園児でも、例外なく知っているはずである。しかし、この常識はそろそろ怪しくなっているかもしれない。なにしろ紙幣や硬貨ではない「お金」が広く出回りつつあって、今にも一般的になりそうな勢いだからだ。 日本は、まだそれほどでもないようだけれど、国によっては、電子マネーの方が完全にメジャになっているところもある。それらも、「お金」であることに変わりはない。(40ページより) とはいえ電子マネーが登場するより前から、「お金」は電子化されていました。たとえば通帳に書かれた数字自体が電子、すなわちデジタルであるわけです。つまり、「通帳の紙に印字されているだけなのに、その数字に価値がある」と思い込める社会が現代だということ。著者はまず、そう指摘しています。 しかし現在、たとえば日本であれば、全国どこででも紙幣が使えます。そのため、お金は普遍的な価値を持っているように見えるはず。そしてお金が社会で使われているのは、国や政府が国民に信頼されている、あるいは法律が社会秩序の要となっているからであるわけです。 社会なんて俺には関係ない、と豪語する人もいるだろう。そんな反社会的な人間になったとしても、財布に日本銀行の発行する紙幣を入れて、大事に持ち歩いているはずだ。それがないと、弁当も買えない。電車にも乗れない。お金がなかったら、すべてを自給自足して生活していかなければならない。もう、そんな生活は、今ではほとんど不可能だと断言しても良いだろう。(41ページより) お金が成立するのは、社会で大勢の人間が分業し、お互いの生産物を交換するような場が保障されているから。ただ大勢の人間が集まっただけで、自然に発生したものではないということです。 しかも、持っているものを交換するほどの知性があっても、なかなかお金のシステムまではつくれないもの。つまりお金が成立するためには、“社会を牛耳る絶対的な権力”が必要。著者はそう述べているのです。(40ページより)