【プロ1年目物語】セ新人40年ぶりの打率3割、史上初の新人外野手Gグラブ!「天才・高橋由伸」衝撃デビュー!
打率3割前後をキープし、7月2日のヤクルト戦で先制の内野安打を放ち、81年の原辰徳が作った勝利打点の新人記録8に早くも並ぶと、7月6日には札幌シリーズの広島戦で、球団新人6人目の二ケタとなる10号に到達。46打点の高橋にチーム打点トップの座を奪われた松井は、「考えてみればさあ、年下と数字を争うのなんて初めてなんだよね。オレもベテランになったね。うれしいですよ」と新たなライバルの出現を歓迎した。オールスターファン投票では、新人史上最多の51万4351票を集め、松井に次いで外野手部門の2位で選出。球宴第1戦に全セの「一番右翼」で起用されると、2安打1打点としっかり結果を残し優秀選手賞を獲得。その巧みなバットコントロールには、全パのイチローも「脳ミソで考えているのではなく、体で反応している」と称賛してみせた。なお外野フェンス前からホームベースに向かっての送球で強肩を競うイベント「返球コンテスト」では、イチローと並んで最高得点を記録している。野球少年たちは、その一本足打法だけでなく、背番号24が外野守備で打球を追う際に負担にならないよう普通よりひと回り小さいグローブをつけていると聞けば、こぞって真似をしたがった。
止まらない勢い
雑誌『ぴあ』1998年7月27日号の花火大会特集号で、堂々と表紙を飾ったゴールデンルーキーの勢いは止まらない。後半戦の巨人は、バルビーノ・ガルベスが7月31日の甲子園で判定に怒り審判へボールを投げつける騒動を起こし、長嶋監督は責任を取りけじめの坊主頭に。7月のチームは7勝12敗と大きく負け越し、首位横浜の背中が遠のくが、そんな暗いムードを吹き飛ばしたのはやはり高橋のバットだった。8月4日、広島のベテランサウスポー大野豊から東京ドームのバックスクリーンへ第12号逆転3ランを放ち、これが42歳の大野が現役引退を決断するきっかけとなる。なお、このシーンを東京ドームで見て由伸ファンになった小学生が、生まれて初めてのプロ野球観戦をしていた丸佳浩(現巨人)である。 長嶋監督が「あんなルーキー、見たことがありませんよ」と脱帽した98年シーズン。“マシンガン打線”の横浜が38年ぶりの優勝を飾り、巨人は首位と6ゲーム差の3位に終わるも、高橋の1年目打撃成績は126試合、打率.300、19本塁打、75打点、OPS.852。打率3割はセ・リーグ新人では長嶋茂雄以来40年ぶりの快挙だった。32二塁打もミスターに次いで新人歴代2位である。新人王こそ14勝を挙げた六大学時代からのライバル川上憲伸(中日)に譲ったが、坪井智哉(阪神)や小林幹英(広島)らとともにリーグ特別表彰を受け、12捕殺を記録した守備では新人外野手初のゴールデングラブ賞にも輝いた。本拠地での勝負強さは群を抜き、打率.312、13本塁打で東京ドームMVPにも選出される。