箱根駅伝で過去最高の3位 城西大学・櫛部静二監督が語る「アフリカ勢と戦うためには低酸素トレーニングが最適」
現在発売中のランナーズ7月号では、今年の箱根駅伝で過去最高の3位という結果を残した城西大学の櫛部静二監督に、同大学が実施している低酸素トレーニングの導入理由や効果について聞いたインタビューを掲載しています。今回はその一部をご紹介します。
――今年の箱根駅伝では目標に掲げていた3位に入りました。以来、多くのメディアで城西大学が取り組んでいる低酸素トレーニングが注目されていますね。 「大学の設備が整っていることもあって、注目していただいています。ただ、我々としては低酸素トレーニングだけではなく、クロカンやウエイトトレーニングなど、様々なトレーニングにバランス良く取り組んでいる、その成果が出たのではないかと思っています」 ――櫛部監督が低酸素トレーニングに注目したのはいつ頃からだったのでしょうか。 「高校時代です。私は高校2年、3年と連続で世界クロカンに日本代表として出場したのですが、そこでアフリカ勢に全く歯が立ちませんでした。当時はヱスビー食品にダグラス・ワキウリさんがいて高地トレーニングが注目されてきているので、自分も興味を持ったんです。早稲田大学時代はスポーツ科学を学ぶ学部でそういった分野の勉強をしていて、実業団に入ったら高地合宿をしたいと思っていたんですが、なかなかタイミングが合わなくて行くことができなかった。念願かなってアメリカのボルダーに行くことができたのは、ヱスビーを退社した後です。ただ、高地トレーニングに適応するには若い方が良くて、当時の自分には遅すぎました。その後エチオピアでゲブレシラシエらの練習も見ることができ、「学んだことを次世代へ活かそう」と思いました」 ――実際に指導の現場に取り入れるようになったのはいつ頃からですか? 「テクノロジーが進んできたおかげで、13年ごろにはポータブル型の機器を使えるようになりました。当時は1台80万円ぐらいで、徐々に台数を増やしていきました。低酸素テントやカプセル型の低酸素ルームといった環境で長期間生活する方法も検討したことがあったのですが、学生は授業があるという点から難しかった。そのため、トレーニング時に低酸素ルームを使用する、という方法に注力するようになりました。効果を確信したのは、村山(紘太=現・GMOインターネットグループ)が1万mで27分29秒という当時の日本記録を樹立するなど活躍してきた頃です。現在大学で使用しているトレーニングルームは大学に企画書を提出して承認を頂き、19年に完成しました。部員たちが積極的に取り組むようになったのは東京五輪を目指してうちで練習したいと言ったOBの山口浩勢(現加藤学園副顧問)が3000m障害で約10秒記録を縮め、五輪に出場したことがキッカケですね」 ――箱根駅伝の距離でも効果があるのでしょうか。 「もちろんです。低酸素下でトレーニングをすることでLT値(乳酸性作業閾値)が改善するので、箱根駅伝でもより速いペースで押していけるようになります。本当に瞬発的な運動以外は、どの距離の種目でも効果があると考えています。うちにはケニアからの留学生ヴィクター・キムタイ(昨年の全日本大学駅伝3区区間賞)もいますが、彼に近い能力を身につけるには低酸素環境下でのトレーニングが最適だと指導の中で感じています。機器の発展のおかげで私自身が長年考えていたことが試せる、いい時代になったと思います」
インタビュー全文は発売中のランナーズ7月号に掲載しています。ぜひご覧ください。