神様の御計画と信じて…偶然の連鎖が紡ぎだした「キリスト教徒同士」の”運命的な結婚”
定年前の50代で「アルツハイマー病」にかかった東大教授・若井晋(元脳外科医)。過酷な運命に見舞われ苦悩する彼に寄り添いつつ共に人生を歩んだのが、晋の妻であり『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の著者・若井克子だった。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 2人はどのように出会い、結ばれ、生活を築いてきたのか。晋が認知症を発症する以前に夫婦が歩んできた波乱万丈の「旅路」を、著書から抜粋してお届けする。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第43回 『「君!出て行きたまえ」…謹厳な雰囲気の「聖書集会」で東大医学部生だった夫と私を出会わせたのは「奉仕作業」だった』より続く
結婚が義務の時代
故郷の隣県にあたる徳島で高校教師として勤め始めて3年になろうとする頃、高橋先生からこんな内容の手紙をいただいた。 「三重県の愛農学園農業高校(愛農高校)を、次年度から女子も入れて共学にするので、女子寮の寮監および家庭科教師として来てほしい」 愛農高校は、1964年に開校したキリスト教系の高校で、高橋先生はその理事をしておられた。両親に話してみると、父は「行きたいほうへ行っていい」と後押ししてくれたが、母は猛反対。だが、私の決心はかわらない。 「どうしても行く!」と言い張ったので、母はそれきり、口もきいてくれなくなった。 ――年頃の結婚もしていない娘が、何を好んで知り合いもいない遠い地で働くのか ――恩師とはいえ、ただの一言でそれほどまでしなければならないのか。 子を結婚させるのが親の義務と考えられていた時代だ。母は高橋先生に手紙で猛抗議したようである。先生の返信には(母によると)こうあったそうだ。 「克子さんの結婚については私が責任を負いますので、何とか愛農高校へ送り出してもらえないだろうか」 責任を負う、とまで書かれたうえ、私の決心を前にして、母もあきらめたのだろう。最後はしぶしぶ愛農行きを許してくれ、私は晴れて三重県に赴任することとなった。母との約束を果たすべく、高橋先生は私に次々とお見合いの話を持って来てくださったが、不慣れな土地で四苦八苦する私は、それどころではない。 〈何とかなる。話がまとまれば神様の御計画と信じてその人と結婚しよう〉 そんなことを考えて辞退し続けていた。だがあるとき、先生からまた男性を紹介された私は、なぜか一緒に新聞の発送作業をした晋の姿が浮かび、こんなことを口走ってしまった。 「先生、もういいです。私は若井さんとなら結婚したいです」言い終わって、私自身が驚いた。 なぜそんなことを言ったのか、今でもよくわからない。自分でも意識していなかった気持ちが、ふと口をついて出たのだろうか。先生はあっけにとられていたが、すぐ真顔になり、 「僕から話してあげようか」 「自分で話します」 まったく思いがけない会話になってしまった。 後日、この出来事を母に打ち明けると、 「若井さんが嫌だと言えば、先生はもう誰もお世話なんかしてくれないよ」とため息をつかれたが、無理もない。でも、それならそれでいいと私は思っていた。先生に啖呵を切った手前、何とか晋に気持ちを伝えねばならない。 少し考えて私は、1ヵ月後に開かれる「愛農新春聖書講習会」に、手紙で晋を誘うことにした。しかし、返信はなかった。医学部にいる晋が忙しいことくらい、私にも想像がつく。だから、晋が三重まで来てくれる、などという期待はまったくなかった。