「あんな悲惨なの見たくないんや」能登半島地震で避難した親子は離れ離れに…みなし仮設住宅とふるさとへの思い
「みんな納得やもん」
「小松が嫌いというわけじゃなくて、大谷がぜひ来たいというわけでもないんやけれども、どうしてもここは気持ちが惹かれるね」。暢子さんが今暮らしているのは、行雄さんが居住スペースとして改造した車庫だ。「『行雄はこんな年寄りほっといて、どんなつもりでいっとんがやろな』と聞こえるがにして、ほかの人が言っとった。だけどおれなんも知らん顔してた。みんな納得やもんなぁ」と暢子さんは話す。不便が続く中でもふるさとにいたい。大谷町に戻った暢子さんは改めてそう感じていた。 行雄さんは「なんしとるんかって思う人もおるやろうし、年寄り置いて。よう分かっとる。その反面、こんなときくらい好きなようにさせてやろうかなって」と話した。行雄さんが小松で暮らし続けている理由は。「本当言ったら将来的には帰りたいげんけど、きょうみたいにね。なかなか不安定ですもんね」と話したこの日は、能登半島地震から5カ月以上たった6月3日。再び、能登を最大震度5強の揺れが襲った。「とにかくあんな悲惨なの見たくないんや。だめや涙出てきた。みなさんよく頑張ってるけどおれはそんな根性ないっすね」。 「遠いところ行きますか」。行雄さんが車で向かう先は母、暢子さんが暮らすふるさと。一人で暮らす暢子さんに食料などを届けるため、週に1回、小松と珠洲片道約180kmの道のりを往復している。 「もうそろそろ4時間や。大丈夫です、いつもこんな感じやし。金沢から東京行っても3時間かからんやろ。最果ての地や」。出発から約4時間半。ようやく大谷町へ到着した。「ばあちゃんどこ行ってきたん」「畑におった」。再び大きな地震があったが、暢子さんは普段通りの様子だった。「私は死ぬ覚悟ができていた。なんも思ってないもん。ここが一番いいとこや」。暢子さんが長年暮らしてきた珠洲市大谷町。ふるさとのどこがいいのか改めて暢子さんに聞くと「頭悪いさけ分からん。ただ好きーってだけ」と答えてくれた。