「あんな悲惨なの見たくないんや」能登半島地震で避難した親子は離れ離れに…みなし仮設住宅とふるさとへの思い
石川県珠洲市で暮らしていた親子は地震後、小松市へ避難したものの、母親は生まれ育った町へ一人で帰ることを決めた。一方で息子はどちらで暮らしていくのか迷っていた。故郷を思って揺れるこの親子を取材した。
みなし仮設住宅暮らし
「ここがテレビの部屋です。きれいでしょ」。みなし仮設住宅を案内してくれたのは地名坊行雄さん(67)。珠洲市大谷町の自宅は地震で中規模半壊。一緒に暮らしていた息子と母親とともに避難し、小松市のみなし仮設住宅で暮らしてきた。「小松にも少しずつ慣れてきました」。 母、暢子さん(85)は約4か月間の避難生活をともにしてきたが、環境の変化から徐々に元気をなくし、5月、暢子さんの希望で一人大谷町に戻った。行雄さんは「寂しいね、なんかシーンとなって。テレビ見とってもなんか変なのよ、変。いつもこの辺にがやがやといるのがおらんかったら。珠洲に帰ってみようかなと思ったり。全然違うこといろいろぐちゃぐちゃで考えて。だめやね、一人は…」と苦い表情で話した。
ふるさとに戻った母
一人で珠洲へ戻ったという暢子さんに話を聞くため、大谷町を訪ねた。自宅のインターホンを鳴らしてみたが不在だった。町の人に聞くと「きょう水を汲みに2回往復しとった。だからまた水汲みか畑行ったんじゃないけ、あの人畑生きがいやから」と教えてくれた。「あの橋のとこ、橋見えるでしょ?あの下なんやけど。歩いて行ってるけど遠いですよ」。自宅から歩くこと約20分。暢子さんは町の人の言う通り、畑にいた。 「気の毒なあんた。このじゃがいもな、小松行っとったら、じゃがいも植えるの遅くなっとってん。だけども植えとけば2つか3つくらいなるやろて植えといてん」と暢子さんは話す。様々な野菜が植えられた自慢の畑。断水が続いているため、バケツに貯めた雨水で水をやっている。 暢子さんは避難生活を振り返り「小松で道路をね。分からんと散歩してたりして迷子に4回ほどなった。そして男の人に『おいおばさん、いつも迷子てバカでないんか』と怒られたこともあった。戻ってきたらね、一人やけど寂しいてのはないね」と話した。ここにはあって、小松にはないもの。毎日の畑仕事もその一つだ。