女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線<RS of the Year 2024>
コーチ就任依頼は本人から。「日本陸上界のシステムから外れていた」
――希実さんは大学1年生の時に健智さんにコーチを依頼した理由について「両親の変わった練習環境を見ていたから」と後に語っていますが、どんなことが“変わっていた”のですか? 田中:私たち2人が、日本陸上界のシステムから外れていたところが大きいと思います。家内は30代前半の頃にマラソンで2時間30分を切っていたので、当時の実業団でも十分に通用していたと思います。それでも、あえて実業団に所属せず、私と2人で独自路線で取り組んでいました。 私たちは、練習環境や費用面は「自分たちで作るもの」と考えていて、活動資金は自分たちの仕事で捻出していたんです。私が独立してランニングビジネスを始めたのも、合宿や遠征の費用を捻出するためでした。その仕事で稼いだ範囲内で、時間も工夫して作り、限られた時間の中で無駄を省いて必要なものを取り入れていきました。時間とお金が潤沢にあって、なんとなく取り組んでしまうよりも、「お金も時間もこれだけしかない中でどうしたら結果が出せるか?」と考える集中型の練習法でした。海外の練習のスタイルに近いのですが、そこからいろいろな発想が生まれてきたんです。 ――具体的には、練習でどんなことを大切にされていたのですか? 田中:オーソドックスな距離走やインターバルトレーニング、ペース走など、いろいろなメニューがありますが、気を付けていたのは、「ただ時間があるから長くやってしまう」とか、練習会場まで走って、それを1日の距離に入れて「1カ月でこれだけ走れた」として満足してしまうことです。逆に、一つ一つの練習の意味を理解して、「集中してこれだけのことができたのだから、自信を持ってレースに臨もう」と思える方が結果的にはいいですし、時間も有効に使えます。そういうやり方が、小さい頃から見てきた希実にも伝わっていたのだと思います。
プロ転向で開けた世界「進化しながら成長していく」
――希実さんと共通点が多い健智さんからのアドバイスと、ある意味対照的な千洋さんからのアドバイスの両方をもらえることで、希実選手にとっては視野を広げるきっかけになったのでしょうか。 田中:2人の考え方やアドバイスは伝えていますけれど、その意見が希実自身と噛み合うか、噛み合わないかで結果が左右されてきた部分はあると思います。去年の4月まで、実業団の枠やクラブチームで、会社のスタッフにサポートしていただきながら活動していたのですが、4月以降は環境を変えて、プロ活動を始めました(*)。 それによって、家族での取り組みがメインになりました。家族だからこそ風通しがいいのではないかと思われるかもしれませんが、風通しが良すぎるがゆえに、それぞれがストレートに思いの丈をぶつけ合うので、それがいい方向に進んだ場合は大きな力を発揮しますが、方向がぶつかり合ってしまったらどうしようもない結果になってしまう。その苦しさはあったと思います。私たちの言葉を素直に受け止めることができた時はうまくいくだろうなぁと思うのですが、ただぶつかり合った時には、逆の結果が出てしまっていることが多いです。 (*)2023年4月に所属していた豊田自動織機を退社し、ニューバランスに所属しながらプロとして活動することを発表した。 ――希実さん自身の強い信念があるからこそ、ぶつかってしまうのですね。 田中:そうですね。明確な主張がありますし、親の意見だからこそ素直に聞き取れない部分もあると思います。じっくり聞いたら伝わるかもしれなかったり、第三者や他者が同じことを言った時は、相手がどう思って、その言葉にどんな意味が含まれているのかを想像して、自分なりに解釈してみようと考えると思うんです。普段はそうやってスッと腑に落ちることでも、親子だと抗ってしまったり、言葉をストレートに捉えてぶつかってしまうことがある。それはお互いさまですが、難しいところだと思います。 ――そういう時は、どのように落としどころを見つけるのですか? 田中:世界陸上の時は、中学校からお世話になっているトレーナーさんがマネージャーとしてついてきてくれたので、その方が間に入ってくれたことで良い方向に向かいました。敗退した1500m準決勝が終わった後、私たちの言葉の仲介役として入ってくれることによって、自分たちの言葉も腑に落ちるようになったんです。 以前は一人で戦っている部分が前面に出過ぎていたのですが、環境の変化もあり、昨年後半は「一人では戦えない」ということを受け止められるようになったのは良い変化だったと思います。 ――プロ転向によって、心境の変化も大きかったのですね。健智さんご自身は、希実さんに接する中で、どのような手応えを得た1年だったのでしょうか。 田中:プロになったら、自分ともさらに向き合わないといけないですから、最初は希実も未知の世界に飛び込んだ焦りや不安があったと思います。それまでチームで活動していた仲間も、プロになることで離れてしまい、別のチームに入ってライバルになった方もいます。ただ、自分たちに寄り添って残ってくれた人もいるし、新しく加わってくれた仲間もいるので。スクラップ・アンド・ビルドじゃないですけど、元々あったものを壊して新たに構築し直した結果が下半期の結果につながったのかなと。そこで、やっと「一人では戦えない」ことを再確認できて、彼女自身がみんなで同じ方向を向くことを意識できるようになったと思います。 まだそこを完全に自分でものにできてないという部分では、もどかしく思っているのではないでしょうか。ただ、一気に変わるのは難しいので、少しずつ、お互いが成長しながら進んでいったらいいのかなと思います。ちょっと普通の親子関係とは違うかもしれませんが、それが、幼少期からずっと続いてきた、田中家のスタンスなんです。 <了>
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