認知症の母がくれた「贈り物」 映画「ぼけますから」監督が講演 103歳の父に”生きがい”/兵庫・丹波市
母の症状明かし 優しかった周囲
日本人は家族が介護をするのを美談と捉えがち。例えば、1人娘が実家に帰り、認知症の母の面倒をみる。すると、近所や親戚からは、親孝行だと受けが良いと思う。けれど、もし私が1人で介護をしていれば、つらく当たってしまう自信がある。無理をせず、他人に甘えながら介護をするのが大事。地域、近所の人にも情報をシェアする。 母が認知症と診断されてから2年間、近所にも隠していた。デイサービスの車が家の前に止まることでばれると思い、2年たって初めて近所に言った。「偏見があるかも」と思っていたけれど、みんなから「たまたまあんたのお母さんがなったけれど、次はうちの親がなるかも。そのときはあんたに頼む。何かあったら何でも助ける。お互いさま」と言ってもらえた。心強かった。 子どもの頃から親しいおばさんからは「『おかしくなっているのでは』とずっと気にしていた。けど、隠している人に『あんたのお母さん、認知入ってるんじゃない』とはよう言わん。言ってくれたから、これからは助けられる」と言ってもらえた。人生100年時代。誰が認知症になってもおかしくない、とみんなが思っているのだろう。
脳梗塞で倒れ 延命治療に悩む
やがて、母は脳梗塞になり、倒れた。喉の筋肉が駄目になり、口から物を食べられなくなり、(医療措置の)胃ろうを迫られた。母は延命治療をしたいのだろうか、最期はどこで過ごしたいか、延命治療はどこまでやりたいか―。縁起でもないと思い、親も子も口にできない。 決断を迫られたときに初めて「聞いておけばよかった」となった。結局、父と私で決めるしかなかった。どんな状態でも一日でも長く生きてくれたら、私と父の心の支えになると思い、胃ろうをしようと思った。 けれど、「これで良かったのか」と寝られないときもあった。元気なうちに母の意向を聞いておけば、後から悩むことはなかった。元気なうちに人生の最期をどうしまうか考える「人生会議」を、家族や主治医らでしておくことを勧めたい。