認知症の母がくれた「贈り物」 映画「ぼけますから」監督が講演 103歳の父に”生きがい”/兵庫・丹波市
父感謝「ええ人生」 母の目からは涙
母はコロナ禍の中で旅立った。私は東京を引き上げ、実家の呉に帰れていた。父も私も毎日、母と短時間の面会ができた。母は楽しいことが好きな人なので、私は一日1個、母との楽しかった思い出を話すようにした。「覚えてる?」と聞くと、手をぎゅっと握ってくれた。信友家の歴史を家族でたどれる、宝物のような時間だった。 ある日、先生から、「今までは面会時間が15分だったけれど、今日は夜までいてあげてください」と言われた。私も父も覚悟した。 それまで、母と私の話を聞いてばかりだった父が、「今までありがとね。あんたが嫁になってくれて、ほんまにええ人生じゃった。感謝しとるで」と声をかけた。顔が青白くなっていた母の目から涙がすっと流れた。父はまた、「もうちょっとのお別れ。わしもすぐ行くけえ、あの世の入り口でちょっと待っとってくれ。あの世で仲良く暮らそう」と声をかけた。 そんな二人を見ていると、娘として生まれてこられて幸せと感じた。人が亡くなるのに悲しいだけでなく、幸せな気分になれたのが不思議だった。 ある方が私に言ってくれた。「介護は親が命がけでしてくれる最後の子育て」と。その通りだと思う。母は2020年の6月に亡くなった。
社会に甘えて かわいい年寄りに
3年半がたったが、父は今でも元気。103歳になった。母が亡くなっただけだとショックだったと思うが、その頃に映画がヒットし、有名人になった。町を歩いていると、「お父さん」と皆さんに声をかけてもらい、もてはやされるようになった。それが父の新しい生きがいにもなった。103歳の誕生日には、世の中で一番好きな食べ物というファミレス「ココス」のハンバーグを完食していた。 103歳の今も週に1回は運動している。負荷を上げたエアロバイクをこいでいる。クリニックのリハビリルームに来ている70、80代のお年寄りは「103歳のお父さんが頑張っている。私らが年とは言えない」と、利用者の全体的な健康レベルが上がっているそう。100歳のおじいさんとも仲良しで、お互いがお互いより長生きできることを目指している。刺激になっているようだ。 家の中でも運動をしている。普段はベッドではなく、布団で寝ている。「布団だったら、寝ている状態から起き上がる。これが全身運動になる」と言う。「今できることをやり続ける」とも。 父は社会に開かれ、「かわいいお年寄り」になっている。この間も名言を言っていた。「年寄りにとっての『社会参加』は、社会に甘えることだと気付いた」と。それを実践している。かわいらしい、元気なお年寄りでい続けるのが元気の秘訣。 今、父が元気でいるのは、母にとっても喜びだと思う。私も、母から父を託されたと思っている。できるだけ長生きさせたい。私が天国に行ったときに「すごいじゃろう」と、母に胸を張って報告できるように。