【闘病】22歳で「なぜ私が?」 多発性硬化症と診断され就活でも苦労…
両親や友人など存在が支えに
編集部: 治療中の心の支えはなんでしたか? うえださん: 両親が病院までいつも一緒に通ってくれたことが本当にありがたかったです。最初の頃は病院で一人長い時間待ち時間を過ごすのはとても辛かったので、付き添ってもらえたのは支えになりました。 あと、仲のいい友人たちの存在です。体調がいいときは一緒に遊びに行って、趣味の話を一緒にしてくれることが本当に気持ちを切り替えてくれました。同病者とのつながりも支えになりました。 編集部: 同病者とのつながりとは? うえださん: 多発性硬化症などに関する情報発信をしているNPO法人さんやツイッターや病院で知り合った同病の方々にも、いつも支えてもらっていると感じています。NPO法人さんは、病気が確定した折からとても支えていただいています。 とても信頼できる情報発信をしてくださっていたので、新薬の話など、未来に向かっての希望が持てて今でも心強く本当にありがたいと感謝しております。 同病の方は、再発した際にお互いに励まし合い、声をかけ合えたので、自分だけが今、症状に悩んでいるわけではないと、仲間のように感じて、孤独な気持ちを支えてもらっていたことをよく覚えています。 編集部: 現在の体調はいかがですか? うえださん: テクフィデラの副作用による胃腸系の不具合が出ることはありますが、多発性硬化症の再発頻度が以前より下がり、比較的安定した状態になっています。わずかに後遺症が残っていますが、疲労がたまっていなければ問題なく過ごせています。 現在の職場でも、病気のことをオープンにして働いており、再発して体調が悪いときはその状態に合わせた働き方をさせてもらえています。
ヘルプマークと就職への問題
編集部: 多発性硬化症になって苦労されたことはありますか? うえださん: 就職活動で苦労しました。最初は障がい者窓口に相談しました。軽症なので障がい者枠での就職は難しいと説明があり、難病患者の就労支援を行っている企業に切り替えて就職活動を行いました。 当時使用していた予防薬が週に1回投薬する度に必ず副作用の高熱が出ていたこと、再発回数が多く、安定していなかったこともあり、時間に融通の利く職場と身体的負荷の重くない職種での就職を希望していました。 就職活動と並行して、時間に融通の利くアルバイト先を知人から紹介してもらい、面接時に持病のことも公表してアルバイトとして勤め始めました。 最終的に友人から声をかけてもらっていた企業に、2年のアルバイトを経たのちに、持病も公表の上、正社員として採用され現在に至っています。 編集部: もし健康な時の自分に声をかけられたら、なんと言ってあげますか? うえださん: 「今していることを全力で楽しんで。夜更かし、偏食はしすぎないように」。それと、「家族、友人は大切にして、人との縁を大切に」と伝えます。 編集部: あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。 うえださん: ヘルプマークを認識する余裕を持ってもらえると、とてもとても嬉しいです。 編集部: 医療従事者に伝えたいことはありますか? うえださん: 検査や診察をいつも丁寧にしていただき、また入院中は手厚く看護いただき、本当にいつもありがとうございます。医療従事者の皆様に、たくさん幸せや楽しいことがありますように。 編集部: 最後に読者に向けてのメッセージをお願いします。 うえださん: 同病の方は、予防薬や検査、一緒に頑張っていきましょう。病気について興味を持ってくださった方は、ぜひ周囲の方が困っているときは気づいて手助け頂けると、とても嬉しいです。