養老「90歳で倒れた母。子供が面倒を見なくなったら自分で歩けるように…」養老孟司×小堀鴎一郎が<病院での死>を考える
◆人間の心理 養老 ところが、母が1年後には歩き出したんです。みんなダメだと思っていたのに、母に騙されたんです(笑)。 僕たち子どもがだんだん、面倒を見なくなるから自分で動くようになった。それで、「お袋、起き上がったよ」と姉に言ったら、姉は「ほら、ごらんなさい。あの時入院させておけば、今頃、死んでるのに」と。 母はいろいろと思い通りに生きてきた人だから、姉にしてみれば、もういいだろうと。 小堀 人間の心理ですよ。結果が前もってわかるわけではないから。いい結果に出ただけで逆のこともあります。 養老 亡くなったのはその5年後です。生死に関してうちの家族はドライというか、割り切っていましたから、あまりぐちゃぐちゃしませんよね。死んだ人は生き返らないし。
◆96歳まで生きた父 小堀 僕の父親は96歳まで生きたけど、元気でしたね。母親は父親より4カ月ほど早く亡くなって、「どこ行った?」って、母親が死んだのがわからない時もありました。 僕は隣に住んでいたので、夜、見に行くんですよ。父親の寝室に小さな窓があってそこから覗いて無事を確認する。 ある朝、ポータブルのお手洗いのところで倒れていました。友人の病院で調べたら、脳梗塞で脳が半分ぐらいやられていましたが、放っておこうということになり、人工呼吸器はつけないで、そのまま点滴だけしてもらって、3日後に亡くなりました。安らかでしたよ。 ※本稿は、『死を受け入れること ―生と死をめぐる対話―』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
養老孟司,小堀鴎一郎
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