『魔法少女まどか☆マギカ』が今も注目され続ける理由 新劇場版からTV版再配信まで
『魔法少女まどか☆マギカ』が動き始めた。2025年冬に、『劇場版魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』(2013年)の正当な続編となる『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』が公開され、誰もが気になっていた鹿目まどかと暁美ほむらの物語に、新しい道が開かれそうだ。これに先だって2025年1月7日からは、YouTubeの「アニプレックスチャンネル」でTVリーズが毎週配信となる。放送が始まって14年が経つ『まどか☆マギカ』が、今に至る人気作品となっている理由はどこにあるのか? 【写真】『まどマギ』新作でマミさんの姿が!? 要するに裏切りだ。タイトルにある「魔法少女」という言葉から浮かぶ予想を裏切りさらに裏切って裏切り続け、どこに連れていかれるのか分からない驚嘆と興奮の渦に観ている人たちを引きずり込んだ。それが、世間の関心を『魔法少女まどか☆マギカ』から離れられなくした。 予兆はあった。TVシリーズの放送を年明けに控えた2010年12月に、Kalafinaがエンディングテーマ「Magia」を唄うことが発表になった、Kalafinaといえば、『劇場版 「空の境界」』で「oblivious」を唄ってデビューして以降、どちらかといえば深遠でダークなイメージの作品を彩るユニットといった印象を持たれていた。 TVアニメ『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の主題歌「光の旋律」でポップさも見せてはいたが、『まどか☆マギカ』の「Magia」はダークなほうのKalafinaだった。第1話の放送では、アバンに当たる部分で、暁美ほむらと魔女との激しい戦闘に添えられ激しさを感じさせた。ところが、エンディングに「Magia」は流れず、第2話も、途中の魔法少女と魔女との戦闘シーンで使われただけだった。 物語のほうは、戦闘シーンの前後でまどかが魔法少女として密かに魔女と戦っている巴マミに助けられ、そのカッコよさに憧れる様子が描かれた。もしかしたら、まどかが1人また1人と仲間を増やしながら強敵を倒し、幸せを掴む『プリキュア』的なストーリーが繰り広げられるのかもしれないと覆わせた。そうだとすると、ダークな「Magia」のミスマッチぶりが謎だった。 そして、第3話「もう何も恐くない」が放送される。衝撃的過ぎる展開に、観ていた人の阿鼻叫喚でネットが埋まった後に、初めてエンディングとして流された「Magia」の深遠な音楽と添えられたダークな映像は、『まどか☆マギカ』という作品が持っていた残酷さであり無慈悲さに、これでもかというくらいマッチしていた。 この後も、期待させては裏切ってみせるストーリーが続き、『劇場版魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』へと至る。その詳細は、これから配信で観始める人もいるだろうから触れずにおくが、ひとつ加えるなら、裏切りに次ぐ裏切りの中で、ストーリーの中心にいるのが主人公のまどかではなく、第1話での登場時からヴィラン(悪役)といった雰囲気を漂わせていたほむらであると言っておきたい。その言動を終始見守っていこう。 もうひとつ、少女たちの戦いをハイクオリティの作画であり、新房昭之監督作品による演劇的な演出といったもので描かれるアニメを通して浮かび上がってくる、『まどか☆マドカ』という作品が持つ設定や世界観の妙にも注目したい。キュゥべえという名の見た目は愛らしいマスコットに導かれ、少女たちが魔法少女に変身して夜ごと街に出て、人を襲っている魔女を退治して回る。そうした”魔法少女もの”であり“戦闘少女もの”の典型を構成しているひとつひとつのパーツに、見せていない裏があるのだ。 キュゥべえの大映しになる顔の無表情さが示唆するその存在の不可解さ。現れる魔女のいったいどこから現れるのかといった謎。少女が導かれ悪を倒してめでたしめでたしというテンプレートからの逸脱が、誰かのためになっているという充実感を踏みにじる驚きをもたらす。劇団イヌカレーがデザインした魔女の異形ぶりも、アニメのキャラクターデザインという概念を超えて戦慄させるものとなっている。 そうした裏切りに次ぐ裏切りがもたらす絶望的ともいえる状況の中で、ほむらというキャラクターの存在感が一気に強まり、魔女との戦いとは別の次元でのある戦いが繰り広げられていることを示す。少しだけ明かすなら、SF的な仕掛けがそこにあって、ある種の牢獄の中から抜け出すための道を探し求める際限の見えない戦いの様相が浮かび上がってくる。その決して正解とは呼びたくない解決の道が、テレビシリーズの最後で示される。ほむらの慟哭を強く残して。