蔦重がオーナーだった「耕書堂」。店先の角型行燈や暖簾に記されているのは「富士山形に蔦の葉のトレードマーク」。行燈には「通油町 紅繪問屋 蔦屋重三郎」「あふら町 紅繪問屋 つたや重三郎」と墨書されており、軒下の暖簾には黒地に白抜きで耕書堂とある。 「画本東都遊」〈部分〉 画/葛飾北斎 (出典:国立国会図書館ウェブサイト https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2533319/1/49)(新潮社)
あわせて読みたい記事
- 力道山の未亡人と次男が「40年近く断絶」状態なことが判明 次男は「もう関わりたくない」デイリー新潮11/21(木)11:06
- 『光る君へ』で藤原為時が赴任<歴史・地理的な要所>北陸地方。その能登へ源平合戦後に流され「日本史に大転換をもたらした」平家の子孫とは?婦人公論.jp11/21(木)12:32
- 「愛を説明するのが不可能なように、死後生を論理的に説明するのは不可能」 横尾忠則が確信する“あの世”の存在デイリー新潮11/16(土)11:05
- 「何度読み返しても心に沁み入る」評論家・川本三郎が選ぶ、昭和を描いた文学作品3冊(レビュー)Book Bang11/22(金)6:00
- 柳葉敏郎「この人を嫁さんにしたいと思うでしょ!?」飯島直子の優しさに感動した柳葉、スタッフへ力説WEBザテレビジョン11/15(金)12:00