感動を呼ぶ斬新な懐石料理! 日本料理界に飛び級で現れた期待の大型新人が描く展望に迫る
本田:特に料理人は、子どもの時に味覚を鍛えているのは強いよね。勉強が苦手で料理人になろうと思ったと言ったけど、料理も結局、勉強だよね。すごく勉強したんじゃないの?
藤井:料理を通してなら勉強も頑張れました。箱根では自分のポジションの仕事が終われば、残りの時間は自由に過ごせたんです。だから、早く終わらせて、買ってきたお茶菓子や洋菓子の本の1ページ目からお菓子を作っていました。読んで勉強するというよりは作れるようになりたくて、載っているお菓子を全部作って制覇しました。
本田:料理の基礎ができたのは箱根? 藤井:技術的な面では箱根が一番大きかったですね。 本田:どういうポジションで働いていたの?
藤井:最初は八寸場。その後、板場と煮方を兼任させてもらいました。店に入ったばかりの頃は10代で、厨房には20代前半や後半、30代前半の先輩たちがいましたが、飛び越して、やらせてもらっていました。 本田:何でそこまでできるようになったわけ? アピールしまくった? 藤井:しまくりましたね。先輩たちに噛みつきまくりました。僕の方ができるよって。干されそうになったくらいです。でも、大将が僕を買ってくれていて。「だったらやってみろ」というスタンスでやらせていただきました。 本田:やらせてもらったら、結果は出さないとね。魚をさばく練習は築地で? 藤井:東京で働いていたレストランの系列店です。そこでは、ほとんど水洗いや売り込みばかりしていました。閉店後、売れない小魚をトロ箱で1,000円くらいで買って、家で全部をおろして、毎日、練習していました。 本田:わざわざそういう店を選んだのは、魚の扱いに詳しくなりたいから? 藤井:「かつらむきやだし巻きは上手だけど、君、魚、何もおろせないよね」と店で言われて。魚をおろせなかったら、そもそも板ができない。板ができないんだったら、煮方もやらせられないと言われたのがすごいショックでした。だったら魚をおろせるようになりますと言って、働かせていただきました。 本田:自分が足りないところを見つけて、スピードをかけて補っていく。いろんな人を見ていて思うのは、考えて修業する人と、言われたからやっているだけの人とでは劇的に差がつく。和食の修業は通常10年ぐらいかかるけど、店で学ぶだけでは足りないことを必死で補っていけば飛び級できる。それをやったということだね。 藤井:とにかく早くお店を持ちたかったので。 本田:だいぶ早いけどね。