参勤交代が街をつくった―“街中に出現した街” 東京ミッドタウン
六本木の特徴は、山手線の中にあってその駅から遠いことだ。 銀座や新橋から渋谷や新宿への中継地で、銀座で飲んだあとタクシーで駆けつける深夜の街でもあった。外国人が多く、テレビ局もあり、時代の先端を行く独特の雰囲気を形成した。つまり家族づれの匂いがしない街である。 このほど、ヤフーが東京ミッドタウンから紀尾井町に移った。 実はこの地名も、紀伊、尾張、井伊家の中屋敷から来ている。毛利は外様であったが、こちらはいずれも親藩だ。僕は文藝春秋から本を出したので何回か通ったことがあり、近くには上智大学、隣は永田町。つまり情報と若者の街から、文芸と政治の街へと移ったように感じる。 木造建築の文化においては、石造建築の文化のようには都市に歴史が残らない。他国との観光競争においても残念なところだ。 しかしルーツ(根っ子)は残る。 小池都知事にお願いしたいのは、この都市のルーツを、すなわち都市化の残像を、それぞれの土地に何らかの形で表示する制度を定めることである。都市はその空間に深い記憶を維持してこそ文化都市となる。一国の、国民とその文化も、また一個人とその精神も、淵源と特質を認識してこそ、強靭なものとなる。 これからの東京は、政治、経済とともに、文化に深く錐鉛を降ろすべきである。