【ノア】引退の齋藤彰俊 タトゥーに込めた〝思い〟「消えないからこそ入れたかったんです」
タトゥーに込めた思いとは――。ノアの齋藤彰俊が、17日の愛知大会で約34年のプロレス人生に幕を閉じた。故三沢光晴さん(享年46)のガウンを持って入場した引退試合では、丸藤正道(45)と対戦。最後はランニングエルボーで敗れた。 【写真】引退試合に三沢光晴さんのガウンを持参した齋藤彰俊 引退セレモニーには妻の佳余(かよ)さん、長男の雅大(まさひろ)さん(30)も駆けつけた。齋藤は「文句も言わず支えてくれた。公務員を辞めて、夢をつかんで新日本プロレスに入ったのにハングリー精神を取り戻すって自分勝手なことで辞めて…。それでタトゥーを入れて。一緒にお風呂も入れないし、プールも入れなくなりましたから。プロレスをやるためにこうする言ったときに何か言われたことがない。そこは感謝してます」としみじみ語る。 齋藤の体には、3箇所にタトゥーが入れられている。初めて左腕に「AKITOSHI」の名を刻んだのは、新日本で平成維震軍として活躍していた1997年のこと。大阪で32歳の誕生日を迎えた8月8日、妻と子供と一緒に彫師のところへ行った。 「消えないからこそ入れたかったんです。自分は温泉とかお風呂が好きだけど、それができなくなる。スイマーなのにプールにも入れなくなる。好きなことができなくなり代わりに、プロレスに専念したいという思いで」 2000年からノアマットに参戦するようになり、右腕には自らの尾をかむヘビのシンボル、ウロボロスを入れた。「永遠とかの意味なんですよ。さらに自分はねじって8の字にして無限大にした。彫っているヘビは骨なんです。それ以上は朽ちないという意味をすべて図柄に入れています」 背中には「Death」の文字と、鎌を翼のように広げたシンボルが入っている。「最後、向こうの世界に行くとき、死に神が来て(命を)切るわけですよね。『君の人生はこうだった』と人生の採点みたいなことを言われると思うんです。その時に悔いのないように生きようと思い、自分の背中に死に神を背負うということで入れたんですよ」と理由を説明した。 母校・中京大近くの温泉に一度だけ家族と入ることができた。「プロレスをやっていてタトゥーを入れているんですが、入れてもらえませんか」と相談したら、許可がもらえたのだ。それでも迷惑がかからないようにタオルで隠し、露店風呂では足だけつかった。上半身を隠したまま更衣室に戻ると、清掃担当の女性に遭遇。「プロレスがお好きだったみたいで『あっ、齋藤選手!』と言われたんです。それだったら下を隠しておけば良かったなと思いました…」というトホホなエピソードもある。 現役生活を終えるにあたり「選手でいる間は『何歳だから』といういらないものを入れなくない」と理由で非公開にしていた年齢が、59歳であることを明かした。ただしリングを離れた後も、タトゥーは残す。プライベートでは一度も見せたことがないため、二度とお披露目されることはない。 「いろんな壁や障害があっても、その限られた条件の中で悔いのないように、いつどこで何があっても悔いがないような生き方をしているんじゃないかなと思います」。人生の最後、死に神に採点される日まで必死に生き続ける。 最愛の妻へは「できるとすれば妻より長生きすることですかね。最後に旅立つ時って心細いし、つらいと思うんですよ。そのときに支えてあげなければと。今までつらい思い、寂しい思いをさせたので。それが最後の恩返しになるんじゃないかな」と約束する。 今後については「何も決まってないんですよ。山にこもって年金をもらえるまで自給自足で。公園とか歩いたらエサとかもらえないかな」と冗談めかし、リングに別れを告げた。
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