【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉⑤】他人の人生をうらやみ、嫉妬する顔は本当に醜い
幸せの尺度は人それぞれ。人と比べてはいけない
「山形での生活は貧しく、私は高校生になると母校の小学校での給仕の仕事をして、一家の家計を支えるようになりました。その頃、実兄とは時々手紙のやり取りをしていましたが、実母はどこでどうしているかもわからない状態でした。 この写真は、その頃の私です。昼間は小学校の給仕、夜は仲間と芝居の練習、休みの日は農作業の手伝いと、忙しい日々を過ごしていました。 当時の山形の農村では子どもは家の仕事を手伝うのが当たり前のため、農閑期に高校の授業を集中的に補習する制度がありました。そのため、一家を支えて働いていた私もなんとか卒業することができました。 そして私が18歳のときに8年の介護の末、養母が亡くなりました。脊椎カリエスがうつることを恐れて、葬儀には親戚も近所の人も誰も来ませんでした。私は葬式の前夜に呉服屋で反物を買い、白装束を縫って着せ、美しかった養母の面影を忘れないようにと心をこめて死化粧をしました。 町の中にも火葬場はありましたが、脊椎カリエスの感染を避けるために山の中にポツンとある火葬場まで遺体を運ばなければなりませんでした。 当時は喪主である養父は家に残る習わしがあったため、私と養母の弟の二人で夜ひっそりとリヤカーに乗せて運びました。そして自分たちで薪をくべてひと晩かけて焼きました。翌朝、養母の弟は役場に向かい、私は小さな骨になった養母を骨壺に納め、それを抱えて4㎞ほどの道のりを一人で帰ったのです」 両親の離婚、実父の死、戦争、疎開、極貧生活と養母の介護。一家を支えるために10代にして働かなければならなかった境遇。そして養母の死…。こうした次々に起こる生活の変化に、周りの大人からはよく「かわいそう」と言われたそう。
「他人に言われて初めて『私ってかわいそうなんだ』と気づきました。それまで、自分がかわいそうだとも、不幸だとも思ったことがなかったのです。子どもにとっては今の環境がすべてであって、ほかの人と比べるすべはありませんから。 ただ一度、仕事をせずに学校の勉強やお芝居の練習に没頭できたらどんなに楽かしら…と、少しだけ人をうらやんだことがあります。でもね、そう思ったときの鏡に映った自分の顔がとても醜かったのです。それ以来、二度とそのような感情を抱くまいと心に誓いました。 他人の人生をうらやみ、嫉妬する顔は本当に醜いものです。 人はどうしても自分と他人を比べて幸せを測りがちです。他人のほうが楽しそう、いい人生を送っている、成功している、それに比べて私は…と考えてしまいます。そうした妬みの感情は心に負のスパイラルを生みます。 確かに私の人生は普通ではないかもしれない。でも、それが私に与えられた人生だと受け入れました。もう『普通といわれる人生』と比べるのをやめようと決心したのです」 そもそも、幸せは人と比べて決めるものではない。 「この頃の私は貧乏でしたが、だからこそ豊かな日本の四季の移ろいや、季節ごとに異なる自然の美しさを知ることができました。私は十分に幸せでした。 特に若い頃は、人と比べたり、妬んだり、恨んだりといった負の感情を抱くことも多いかもしれません。私だって時には嫉妬する気持ちが湧くこともあります。そんな醜い感情が湧いたときには、まず身のまわりの小さな幸せを探してみてください。きっとたくさん落ちているはずです」