自転車で巡った能登半島 "復旧"すらままならない現地のリアル
「うちは京都の業者で、6月から現場に入っていますが、(10%達成は)はっきり言って遅いと思います。予定では来年10月までに全部終わらせるっていう話です。最近は全国各地から業者が集まってきているので、ペースは上がると思います」 珠洲市に入ってすぐの宝立町(ほうりゅうまち)は、1階部分が崩壊した家や道路へ前のめりに倒れた家など、ひと目で全壊とわかる住宅だらけ。ガラスの破片などもそのままで、つい最近に大地震があったかのようだ。 そこから先は、瓦礫(がれき)と廃墟と大きく傾いた電柱が当たり前の光景になった。大半が津波ではなく、揺れの被害だ。 珠洲市で2泊し、被災と復興の状況を尋ねて回り、3日目はまた内陸部を経て輪島市へ移動する。 輪島市の中心部は、珠洲市以上の惨状を呈していた。公費解体の想定数は珠洲市の7195棟に対し輪島市は9685棟(前掲記事より)と、数字だけを見れば被害に大差はないように思える。 が、海と山に挟まれ、いわゆるウナギの寝床式に細長い平地に家々が並ぶ珠洲市に対し、輪島は平野部が広い。そこにショッピングモールや「マツキヨ」や「しまむら」など、首都圏近郊の住人にもなじみの施設があり、ニュータウンもあれば伝統的な街並みもある。 倒壊したビルや、大火事の跡もあり、より都市型の被災に見えるのだ。その分、恐怖がより身近に感じられる。 ■公費解体の難しさ 前述のとおり公費解体は10%しか進んでいない。最寄りの大都市・金沢からの遠さ(輪島市、珠洲市共に100㎞以上離れている)と、半島ゆえのアクセスの悪さを前提にしつつ、ほかに何が公費解体を困難にしているのだろうか。 まず申請する被災者の立場から。手続きの際、建物の所有者確認は必須だ。ところが、奥能登の入り口、穴水(あなみず)町平野(ひらの)に住む女性はこう話す。
「このへんは昔から、息子にはここを、弟にはあそこを、って具合に、口約束でやってきたもんでね。登記上はずっと昔の人の名前になってたりして、難しいわ」 ほかも事情は似たり寄ったりだろう。過疎化が進み、もともと空き家になっていた所も多い。 手続きを助けるべく、珠洲市では毎週土曜日に司法書士による無料相談会が行なわれている。また7月1日付で、建物の体をなしていない物件に関しては、相続者等の同意書が不要となるよう、簡素化が進んでいる。 ただ、公費解体を申請しながらも、使える部分は残したいと考える人もいる。当然の人情だ。 珠洲市蛸島(たこじま)町の仮設住宅で暮らす西さんの自宅は「全壊。ま、立ってはいますけど、暮らせない状態」で、公費解体を希望している。 「半分は完全に公費解体だけど、生かせる部分は生かしたい。隣の家がぶつかって傾いている状態なんで、まずお隣さんを撤去して、それで直せそうなら残そうと。だから今はお隣さんの撤去待ちです」 パズルのように、順序よくやる必要が生じるのだ。 古い家、伝統的な街並みは、解体業者の苦労も大きい。現場入りして1ヵ月、珠洲市の宿舎から輪島市へ通う愛知県出身の男性はこう語る。 「路地が狭かったり、作業のやりにくい場所に建物があったりするケースが多かった。建物が傾いていて、動かすと倒壊事故が起きるような危険な所もあり、解体作業には神経を使います。1班は多くて6人で、4日に1件は壊さないと間に合わんといわれてるけど、輪島は仕分けが細かいし大変ですよ」 仕分けとは、解体ゴミの分別で、珠洲市で働く作業員も「選別が入ってなかなか進まん」とこぼしていた。 ■解体後はどうなる? 金沢から珠洲市宝立町の実家に帰省中に地震に遭い、92歳の母をおぶって山に避難した菅田康隆(やすたか)さんは、休みのたびに実家に通い続けている。