「ハセは戦友であり、家族」大久保嘉人が今も“怪人”長谷部誠に感謝する理由とは? 手料理は“ザ・日本のカレー”「あれはうまかったなぁ」
15年前、鬼軍曹に率いられブンデスリーガの頂点に立った。「破天荒」な点取り屋・大久保嘉人と、「真面目」なボランチ・長谷部誠。世間一般では対照的な性格と認知されている2人が、わずか半年間で築き上げた、固い絆の物語――。 【初出:発売中のNumber1098号[2009年のヴォルフスブルク]大久保嘉人「愛と絆のカレーライス」より】 【秘蔵写真】「えっ…こんな髪型だったの!?」19歳のマコ様“茶髪ロン毛時代”+ヤンチャそうな17歳時→代表で整ったキャプテン&ドイツ語ペラペラでレジェンドになるまで…長谷部誠の軌跡を写真で見る
怪人ハセベマコトの正体
怪人。大久保嘉人の記憶の中で、一番最初に思い浮かぶ長谷部誠の姿だ。 2009年、ヴォルフスブルクの本拠地フォルクスワーゲン・アレーナの近くにあった大久保の自宅リビングでは、いつもこんな光景が繰り広げられていた――。 当時、幼稚園児だった大久保の長男・碧人くんが、嬉しそうに駆けまわっている。腰には、お気に入りの仮面ライダーベルト。全力で変身ポーズを決めて、鋭いライダーキックを放つ。すると、怪人ハセベマコトが「うわぁ~」と叫び、ド派手に倒れる。何度も何度も繰り返される戦闘シーンを、大久保夫妻は優しく眺めていた。 「この間の引退試合の後も、ハセは父親の顔になっていましたけど、当時から子ども好きでね。遊ぶのもすごく上手だから、碧人も喜んで。いつも『ハセ! ハセ! 』って、なついていましたよ」
4人でご飯を食べて、家族のように過ごした
15年前の冬、大久保はヴィッセル神戸からヴォルフスブルクへ移籍した。当初は一家3人でホテル暮らしをしていた。シーズン途中の加入で右も左もわからない中、練習場までは凍結した道を運転しなければならない。そこに手を差し伸べたのが、前年からこのクラブに在籍する長谷部だった。 「運転も慣れているから『一緒に行きましょう』って、ホテルまで迎えに来てくれて。俺はドイツ語を全く話せないから、練習中のコーチや監督の指示もハセが通訳してくれた。あいつがいてくれて、俺自身も、家族にとっても本当に助かったんです」 大久保が自宅を見つけてホテルを出てからは、妻・莉瑛さんが作る夕食を毎日食べに来るようになった。たまのオフに出かける旅行も一緒。長谷部がハンドルを握り、大久保が助手席、莉瑛さんと碧人くんが後部座席に座った。 「デュッセルドルフとかハンブルクとか、4人でいろんな土地へ遊びに行って。ハセは家族の一員みたいなものでした。律儀な男だから『いつもお世話になってるんで、今日は俺が夕食作ります! 』って、カレーライスを作ってくれたことがあるんです。家庭で普通に作られる、ザ・日本のカレーって感じ。あれはうまかったなぁ」 ある日、午前練習を終えた大久保が自宅でくつろいでいると、携帯電話が鳴った。長谷部からのメールだった。そこには、幼稚園で遊ぶ碧人くんの画像が添付され、文面にこう記されていた。 〈碧人、楽しそうに遊んでますよ! 〉 大久保夫妻は、驚きの声をあげた。 「あいつ、練習で疲れているはずなのに碧人の幼稚園を見に行ってくれたんですよ。当時、碧人はドイツ語が話せず、なかなか幼稚園に馴染めなくて。『行きたくない』みたいなことも言っていたんです。それをハセに相談した記憶はないんですけどね。でも、夫婦の会話を聞いて、心配したんでしょう。俺らを安心させるために、写真も撮ってくれて。そういうヤツなんです」 合宿や遠征の際も、大久保と長谷部は宿舎で同部屋だった。自然と話題は“あの人”のことに及んだ。「鬼軍曹」と呼ばれたフェリックス・マガト監督について、である。
(「NumberPREMIER Ex」松本宣昭 = 文)
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