連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.43 ラゴンダ・ランスフィールドクーペ
ラゴンダという自動車メーカーは、1906年に創業し1948年にアストンマーティンに吸収されるまで、オリジナリティーとクォリティーの高いモデルを作ったことでその名が知られた自動車メーカーである。アストンマーティンが買収後もラゴンダの名称は残り、現在はブランド名こそアストンマーティンが所有しているが、ラゴンダの名を持つ車は生産されていない。 【画像】イギリスのコーチビルダー、ランスフィールドによって仕上げられたラゴンダ(写真6点) そのラゴンダ、ウィルバー・ガンというアメリカ、オハイオ州スプリングフィールドに生まれた人物によって、創業されたメーカーである。彼はオペラ歌手を目指していたが、その野望は叶わず、イギリスに渡って1906年にラゴンダという名の会社を設立した。1891年にイギリス国籍を取得していた彼は、初めのうちモーターサイクルを生産。そして1907年に、初めてラゴンダの名を持つ自動車を世に送り出している。ラゴンダという名称は、彼の生まれ故郷であるオハイオ州にあるアメリカ先住民のショーニー族の居留地からつけられたものだという。 モーターサイクル事業は成功し、彼自身が1903年4月にオート・サイクル・クラブを設立、その4カ月後には自身の制作したラゴンダのバイクで、1903年のサウザンドマイルトライアルに参加している。このレースで2位に入ったガンは、その後もトライアルレースに参加し続け、徐々に売り上げを伸ばしていったが、モーターサイクルの需要は夏季に限られ、会社は慢性的な資金不足に陥っていた。そこで、1907年に自動車を初めて生産。その後は生産を自動車に転じていくのである。1917年には6気筒の大型車から排気量1000cc程度のコンパクトカーまで揃えるメーカーに発展していた。とりわけ1913年に投入した11.1と呼ばれる排気量1099ccのモデルは、初のリベット止めユニボディ構造を持ち、サスペンションにはパナールロッドが採用された画期的なモノであった。しかし、1920年、創設者であるウィルバー・ガンが死去。会社は役員会によって引き続き運営されることになった。 だが、財政難は常について回り、1935年にはついに破産。会社はアラン・P・グッドによって買収される。しかしこの年は、ラゴンダにとって大きな転機にもなった年である。ひとつのトピックはル・マン24時間を初めて制したこと(これがラゴンダにとっては最初で最後だった)。そしてもうひとつが、会社を買収したアラン・P・グッドが新たなエンジニアとしてW.Oベントレーを招き入れたことである。彼はラゴンダで、後に史上最高傑作と言われるV12エンジンを設計する。180psの出力を持ち、トップギアで時速7マイルから165マイルまで走行できると言われるほどの柔軟性を持ったエンジンであった。もっとも、W.Oはこのエンジンをあくまでもロードカー用に設計しており、レース用に転用することは考えていなかったそうだが、アラン・グッドの考えはそうではなく、これをレース用(ル・マン24時間)として使うことをW.Oに提案するのである。 会社のオーナーの提案とあっては断るわけにもいかず、W.Oはそれを承諾して改造に着手するのだが、過去自らの名を冠したマシンで5回のル・マン優勝を経験しているベントレーは、慎重かつ着実に作業を進めた。まずはシャシーの軽量化である。元々重かったフレームにドリルホールを設け、小さなパーツに至るまで軽量化を施した。エンジンも、キャブレターはツインから4キャブレターに変更。さらにエンジン本体も異なる軽量合金を使用して重量低減に努めたのである。このダイエットの結果、車重は1370kgとなり、ロードカーのローリングシャシーよりも軽く仕上がったという。 とはいえ、結局2台エントリーする予定だったV12のうち、レース前のテストに間に合ったのは1台だけ。残りの1台は、ファクトリーからル・マンまでの公道でテストすることになった。出場する4人のドライバーは#5にアーサー・ドブソンとチャールス・ブラッケンバリー。#6にはセルスドン卿とワレラン卿が乗る。ベントレーは確実にゴールに到達できるように、彼らに走行ペースについて厳しい指示を出したという。その結果、2台は完走し、ドブソン/ブラッケンバリー組が総合3位。セルスドン/ワレラン卿組が4位に入った。初出場としては決して悪くない成績を残したが、さらなる改良を加えることはならず(第二次世界大戦でル・マンが中止となったため)、ラゴンダのル・マン挑戦はここで終焉を迎えるのである。 ロッソビアンコ博物館にあったランスフィールドクーペは、1940年のル・マン出場を目指して2台が製作されたモデルである。もっともアールデコ調の豪華なインテリアを備えていたというから、必ずしもレース出場を目論んだモデルではなさそうでもある。余談ながらラゴンダV12が出場した1939年のル・マン24時間には、このランスフィールドクーペに似たスタイルのタルボがレースを完走しているので、それなりのポテンシャルはあったものと思える。ル・マンに出場した車と同じ4.5リッター4キャブレターのV12エンジンを搭載し、空力性能の良さそうなスタイルは、イギリスのコーチビルダー、ランスフィールドによって仕上げられたものである。もっともそのスタイルは通称エンビリコス・ベントレーと呼ばれるモデルと極めて似通ったスタイルを持っている。 2台のランスフィールドクーペのうち1台は、アメリカのボンネビルでクラッシュして無くなってしまったので、現存するのはロッソビアンコから現在オランダのローメン博物館に場所を移して展示されているこの1台のみである。 文:中村孝仁 写真:T. Etoh
中村 孝仁 (ナカムラタカヒト)