123便に乗り込み帰らぬ人となった「坂本九」 「最後の曲」は10代にも歌い継がれる「名曲」となった――
その歌は番組を聴いていた千葉県の中学校の音楽の先生、長谷川剛さんの耳にとまり、長谷川さんが同じ千葉県の中学校の先生だった友人の田中安茂さんに教え、田中さんは長谷川さんが編曲した譜面を使い、卒業式の合唱曲にした。噂が広まり、しだいに全国の中学校の合唱曲として、歌われるようになっていった。 中学生には中学生ならではの心の葛藤がある。それを乗り越えていこうとする気持ちは「心の瞳」の歌詞にぴったり合っていたので、中学生たちはこの歌を涙を流しながら歌ったという。この歌は気持ちを柔らかくしてくれますと田中先生は後日語った。 やがて「心の瞳」は中学校の音楽の教材にも載るようになった。するといつの頃からか、柏木由紀子さんのもとに全国の小中学校から、感謝や励ましの手紙が届くようになった。そこで初めて僕たちはこの曲が合唱曲になっていたことを知らされた。 由紀子さんと2人の娘は、九ちゃんが最後に歌った歌を歌い継いでいくために、ママエセフィーユというユニット名で、コンサート活動を開始。品川プリンスホテルのクラブエックス、銀座博品館劇場、銀座ヤマハホールなどで毎年クリスマス時期に定期的に歌い続けた。ステージには九ちゃんのディレクター・チェアが置かれ、九ちゃんの声が流れるなか、三人でハーモニーを奏でた。 2017年、僕は九ちゃんのメロディーに三人のコーラスを重ねたCDを制作することにした。当時の九ちゃんのマルチのマスターテープを工場から取り寄せ、渋谷のBunkamuraスタジオで封印されていた箱を開けた。大きなスピーカーから流れる、エコーもかかっていない、九ちゃんのそのままの声と家族三人は再会した。 三人のコーラスは、控えめで、自然で、最初からずっと入っていたように聞こえた。九ちゃんが大事にしていた家族の声や想いが重なったことで、「心の瞳」は完成されたのだった。 「心の瞳」は、九ちゃんを失った悲しみや苦悩から家族を救い、合唱曲となって、昭和から平成、そして令和へと歌い継がれる曲になった。何よりも嬉しかったのは、坂本九という歌手も知らない10代の若い人たちにも愛される、合唱曲の定番になったことだった。 「九ちゃんが種を蒔き、残した歌は、こんなに大きく育ちましたよ。さすがです」 僕は天国の九ちゃんにそう伝えたい。 あの笑顔がすぐそこに見えるようだ。
デイリー新潮編集部
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