「体操を辞めるかどうか…」宮田笙子が思いつめていた進退…監督が明かした“変化”「いろいろな人に配慮できるようになってきた」20歳の今後
波瀾万丈、あやまちもあった1年を、感謝の思いを込めた涙で締めくくった。 11月22日から24日まで三重県四日市市で行なわれた体操の全日本団体選手権・種目別選手権。順天堂大学のメンバーとして女子団体に出場した宮田笙子は、最後の種目だった平均台でE難度の降り技「後方屈身2回宙返り」をきっちり止めた。 【写真】20歳になった宮田笙子の最新の演技。平均台での美しい躍動に、復帰戦で見せた涙…。この記事の写真を見る。 平均台は2022年世界選手権(英国リバプール)で種目別銅メダルに輝いた得意種目。13.200点は本来の実力と照らし合わせれば完璧とは言えないかもしれない。しかし、演技の直後に見せた小さなガッツポーズには達成感がにじみ出ていた。最終結果は順大女子チームとして過去最高の3位。宮田は目尻を何度もぬぐった。
演技後の宮田が答えた“涙の意味”
「(優勝するには厳しい点差だったが)どんなことがあっても絶対に諦めずにやると決めていた。平均台は自信を持って臨める種目ではあるけど、最後の降り技を止めにいけるのは珍しいというか、その余裕があったことが良かった。団体戦で最後に良い締めくくりをできたという思いがあふれてきた」 涙の意味を聞かれると、宮田はこのように言葉を継いだ。 「同期の2人(笠原有彩、松田透和)や順大の先輩がつないでくれたバトンがあったからこそ、最後の着地を決めに行けたと思う。団体戦ならではの感動があった」 試合全般を振り返ると、「緊張を感じながらの演技だった」(宮田)という言葉通り、最初の種目のゆかではミスが出た。 大会前に左足リスフラン靱帯や親指の靱帯、右足首を負傷した影響で状態が思わしくなく、演技構成が決まったのは試合当日の練習後。それでも、2種目目以降は落ち着いていった。 「自分が楽しむことが一番大事だと思っていて、そこはできたかな」
監督「(宮田は)体操を辞めるかどうかというところまで考えた」
表彰式の後は笑みが浮かんだ。 19歳だった7月、あってはならない事態を引き起こしてしまった。6月末から7月にかけての飲酒と喫煙で日本オリンピック委員会が定める「国際総合競技大会派遣規程」と日本体操協会の「日本代表選手・役員の行動規範」に違反。パリ五輪代表を辞退し、五輪開幕直前に合宿地のモナコから日本に帰国した。 事態を受けた日本体操協会は第三者機関を設けて事実関係や再発防止に向けたヒヤリングを行なうと決め、そのうえで処分が決まるまでは宮田の大会出場を所属の判断とし、制限しないと決めた。 一方で、宮田本人は憔悴の海で自分と向き合う日々を過ごした。全日本団体選手権後のタイミングで、パリ五輪の出場を辞退した後の宮田の様子について順大の原田睦巳監督に訊ねると、このように言った。 「(宮田は)体操を辞めるかどうかというところまで考えた。それくらい(パリ五輪に)懸けてやってきた。悩んだ末、支えてくれた人のためという気持ちやさまざまなことを自分の中で解決して『前に進もう』という気持ちになったのは、国民スポーツ大会に出ると決めた8月末から9月にかけての頃だったと思う。そこから少しずつ考え方が前向きになってきたのだと思う」
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