ブルース・スプリングスティーンが語る『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の真実【1984年の秘蔵インタビュー】
「Born in the U.S.A.」とベトナム戦争
―タイトル曲「Born in the U.S.A.」は、人々を煽り立てるロックンロール曲であると同時に、ベトナム帰還兵など社会的に置き去りにされた人々の痛みを代弁した特別な作品です。帰還兵の状況について、いつ頃から認識していましたか? BS:彼らが実際に経験したことを正確に想像できる人間などいないだろう。俺自身もできない。実際に体験した人間でないとわからないと思う。ベトナムでは多くの若い男女が亡くなった。戦地で生き延びても、帰国してから亡くなった人も多い。当時この国は、彼らの献身を食い物にしていたのではないかと考えざるを得ない。当時の彼らは、自分の命を惜しみなく捧げた。 ―ベトナム戦争に関して、あなた自身に直接的な経験はありますか? BS:直接は体験していない。俺が育った60年代後半のフリーホールド(ニュージャージー州)では、政治意識がそう高くなかった。小さな町で、戦争なんて遠い世界の話だった。ベトナム戦争については、実際に従軍した友人たちに話を聞いた。最初に組んだバンドのドラマーは、ベトナムで戦死した。彼は海兵隊へ入隊した。彼の名前は、バート・ヘインズ。明るくて、いつも周囲を笑わせてくれる奴だった。あるとき彼がやって来て「入隊した。ベトナムへ行くんだ」と言った。ベトナムがどこにあるかも知らないけどな、という彼の言葉が忘れられない。それっきりさ。彼が帰国することはなかった。戦地から帰還できた人たちも、以前と同じ状態ではなかった。 ―あなた自身はどうやって兵役を回避したのでしょうか。 BS:俺は17歳の時のバイク事故で脳震とうを起こしたことで「4-F」に分類されて、兵役には適さないと判断されたんだ。それから、60年代に流行っていたやり方も使った。記入用紙にでたらめを書いて、兵役検査を受けなかったのさ。19歳の俺は、命を捧げる覚悟ができていなかった。徴兵の連絡を受けて身体検査会場へ向かうバスの中で「俺には無理だ」と思った。大学にも入ったが、俺には向かなかった。偏見だらけの学校だった。俺の格好も行動も周囲から浮いていたから、嫌がらせを受けたりして、結局行くのをやめた。身体検査へはバンド仲間も一緒に行ったが、バスに乗った6、7割はアズベリー・パークに住む黒人だった。俺はバスに揺られながら、大学へ通う奴らが徴兵を逃れているのに、なぜ俺や仲間の命が使い捨てにされるんだ、などと考えていた。何だか不条理に感じた。俺の父親は第二次世界大戦の退役軍人だが、「いつかお前も徴兵されて、その長い髪を刈られる時が来る。軍隊に入れば男になれる」という感じの人だった。当時はよく父親と衝突していた。そして俺が3日間留守にして帰宅すると、キッチンに仲間たちが集まっていて「どこへ行っていたんだ?」と聞くから「兵役のための身体検査を受けに行っていたのさ」と答えた。「でも徴兵はされなかった」という俺の言葉を横で聞いていた父親は、「よかった」と一言つぶやいた。あれは、一生絶対に忘れられない瞬間だった。