ブルース・スプリングスティーンが語る『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の真実【1984年の秘蔵インタビュー】
『ネブラスカ』と『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の関係
―あなたの曲に登場する人々は、長い間、この国の状況を反映してきました。あなたのアルバム作品は、社会政治的な視点の変化と密接に関係していると思いますか? BS:俺は常に、作品どうしが互いに影響し、共鳴し合うように作ってきた。だからアルバムは単なる楽曲のコレクションではなく、もっと重要なメッセージを込めるようにしている。『青春の叫び』(The Wild, the Innocent & the E Street Shuffle:1973年)で意識したんだが、特にB面の曲はお互いにシンクロさせている。何人かのキャラクターがいて、彼らの人生をフォローしていく形だ。『明日なき暴走』(Born to Run:1975年)、『闇に吠える街』(Darkness on the Edge of Town:1978年)、『ザ・リバー』では、楽曲どうしのつながりを特に意識した。『明日なき暴走』では、宗教的に物事を追求していくユニークなやり方をしてみた。宗教と言っても伝統的な宗教ではなく、もっとベーシックな概念という意味でね。探求、信念、希望の理念、といったところさ。次の『闇に吠える街』では、現実社会を生きる主人公の葛藤を描いている。結局、主人公は独りぼっちになり、全てを失う。それから『ザ・リバー』の登場人物は、コミュニティへの社会復帰を目指している。「Stolen Car」「The River」「I Wanna Marry You」「Drive All Night」「Wreck on the Highway」も、人間関係がテーマになっている。人々がお互いにやすらぎを求めている。『ザ・リバー』以前は、人間関係をテーマにした曲などめったに書かなかった。それから『ネブラスカ』は、自分でも理由はわからないが、突然浮かんで出来上がった感じだ。 ―『ネブラスカ』は、チャールズ・スタークウェザーと恋人のキャリル・フューゲートによる連続殺人事件をテーマにした映画『地獄の逃避行』(テレンス・マリック監督)にインスパイアされたと思っていました。 BS:前回のツアー中に、俺は既に「Mansion on the Hill」を書き上げていた。ツアーを終えてニュージャージー州コルツネックの自宅に戻った時に、映画『地獄の逃避行』を観て、それから彼らの伝記小説『Caril』を読んだ。単にそのときの気分だったんだけどな。スイミング・リバー・レザボア近くに借りた家に籠もって、曲作りを始めた。そして2、3カ月で『ネブラスカ』の収録曲を書き上げた。『ザ・リバー』の頃から、よりディテールにこだわって曲を書くようにしている。当時は、映画の他にフラナリー・オコナーの小説にも影響を受けたと思う。彼女の作品は素晴らしい。 ―スタークウェザーには、当時のアメリカの状況を象徴するものとして、何か感じるものはあったでしょうか。 BS:言葉の選び方が正しいかどうかわからないが、ニヒリズムというものが社会を凌駕して、宗教や社会的に定められた基本原則を無意味な状態にしてしまう状況もあり得ると思う。制約がなくなり、何でもありの世界になる。本当にお先が真っ暗だ。どんな力が働いてこうなっているのか、よくわからない。おそらく、人々にフラストレーションが溜まり、自分の拠り所となるものを見出せず、人々と政治や社会とのつながりが欠けているからだろう。孤立してしまうことが、最も危険な状態だと思う。『ネブラスカ』は、そんなアメリカの孤立状態をテーマにしている。友人やコミュニティ、政府、仕事から疎外された人々の行く末を歌っている。友人やコミュニティなどは、何とかして自分の人生に意味を見出して前向きになろうとする時に、必要なものだ。もしも自分が周囲から切り離されてしまったら、社会の基本的な制約も意味を成さなくなり、人生も空虚なものになってしまう。すると、何が起きてもおかしくない。 ―全曲でアコースティック・ギターを中心にした『ネブラスカ』は、そのような暗黒の時代を表現する素材としては、最もふさわしかったのではないでしょうか。 BS:最初は、ただ次のロック・アルバム用の曲を作っていただけなんだ。それまでは、スタジオに入ってからの曲作りに、ものすごい時間をかけすぎていた。スタジオへ入ってもすぐにレコーディングできる素材がなかったり、あっても中途半端だったりした。1カ月かけてスタジオで何曲か作って、家に帰って少し書き足して、また1カ月間スタジオで作業して、という感じで、全く効率的でなかった。だから今回は、俺がまずティアック社製の4トラックのカセットレコーダーに録ってみて、出来がよければバンドのメンバーに聴かせようと思っていた。歌とギターで1トラックずつ使い、残りの2トラックに例えばギターをオーバーダビングしたりコーラスを加えたりした。単なるデモテープにするはずだった。エコープレックス(テープエコー・マシン)を使ってミックスもしたが、手を加えたのはそれくらいだ。そのテープがそのままレコードになってしまった。驚いたよ。俺はそのカセットテープをケースにも入れずに、数週間もポケットに突っ込んで持ち歩いていたんだからな。最終的に「おお、これはアルバムにできるクオリティだな」ということになったのさ。しかし技術的に、カセットからそのままレコードにするのは難しかった。録音状態が悪くて音が歪んでしまっていたから、そのまま盤に刻めなかったんだ。レコードは諦めて、カセットテープとしてリリースしようとまで考えた。 ―楽曲「Born in the U.S.A.」は、『ネブラスカ』を制作していた時期に作られたと聞いています。その他にも、この時期にできた作品はありますか? BS:『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に収録された半分の曲は、『ネブラスカ』と同時期に作ったものだ。実は『ネブラスカ』向けの曲を仕上げようとしてバンドとスタジオ入りした時に、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のA面分の楽曲をレコーディングした。それからB面の「Bobby Jean」や「My Hometown」などに取り掛かった。だから『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のほとんど全ての楽曲は、この時期にできたと言える。特にA面の曲に関しては、『ネブラスカ』の収録曲と同じようなやり方で作った。それぞれに登場人物がいて、ストーリーがある。ただ『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の方は、ロック・バンド仕立てだけどな。 ―『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の収録曲は、いわゆる自然発生的で、あまり手間を掛けないアプローチでレコーディングされたように思えます。ドラムのマックス・ワインバーグは、タイトル・トラックの「Born in the U.S.A.」が2テイクで完成したと証言しています。それから、あなたが合図するまでバンドはノンストップで演奏を続けたと言います。 BS:その通りだ。全ての曲をライブ・レコーディングした。『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のほとんどの曲は、5テイク以内で仕上げた。「Darlington County」も「Working on the Highway」もそうだし、「Down-bound Train」「I’m on Fire」「Bobby Jean」「My Hometown」「Glory Days」も、ほとんどがライブだった。今の俺たちのレコーディング・スタイルは、つまらない単調作業から脱却した。バンドの結束も固く、5、6テイクで1曲完成するようになっている。オーバーダビングを駆使して仕上げたアルバムは『明日なき暴走』ぐらいだな。『明日なき暴走』では、1曲を除き作った曲全てをレコーディングした。『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』向けには、15曲ぐらいレコーディングした。レコーディング作業よりも、曲作りの方に時間を掛けた。曲を書いて「アルバム全体としてストーリーが語られている」と満足できるまで、練り直した。レコーディングしたものの、リリースしていない曲もたくさんある。