〈ひきこもりのゴールは働くことではない〉続く誤解、変わるべきは社会のまなざし
働くことがゴールではない根本的な解決は本人に
一般的には社会に復帰し、働くことがゴールだと考えられていますが、調査を続ける中で「ひきこもり」とは社会参加・就労の問題ではないと考えるようになりました。「ひきこもり」とは生きることを巡る葛藤なのです。 したがって、本人が自分で考え抜き、悩みや苦しみに折り合いをつけ、自分の人生・存在に納得することを抜きにして解決を語ることはできないでしょう。「働かないでどうやって生きていくのか」とすぐに思ってしまいますが、生きること自体が揺らいでいるのに「生きるために働け」と言われても動けるはずがありません。 これが唯一無二の正解ではありませんが、当事者は生きることを難しくさせている核となるような苦悩をそれぞれ抱えており、それ「以外」の悩みを取り除いていくことが必要だと考えています。たとえば「ひきこもっている人は楽をしていると思われているのではないか」といった周りからの評価に対する恐れなどです。言ってみれば、当事者は社会のそうした否定的なまなざしによってひきこもらされているわけです。 そのような状況下では核となる苦悩と向き合うことはできません。また、その苦悩は人それぞれであり、決して一律には論じられませんし、そこに第三者が立ち入ってはなりません。本人の頭を飛び越えて、これが正しい生き方だとか幸せな人生だとか決して決めつけるべきではない。 我々が直接的にかかわることだけが支援になるのではありません。先ほど当事者は周りからの評価を恐れていると言いましたが、それは本人の気の持ちようで乗り越えられるものではないと思います。 私たち一人ひとりが自分のまなざしを振り返ってみる。それは間接的にではありますが、ひきこもっている人たちが出ていきやすい世の中をつくることにつながるのではないでしょうか。 人は一人ひとり違います。当然、考え方も違う。自分がどうしてもわからないことに対して共感することは難しく、無理にわかったふりをする必要はないでしょう。しかし、ひきこもっている人が存在していることは紛れもない事実です。仮に共感できなくても、生き埋めにされているかのように悩んでいる人たちがいることを知ってほしいのです。 また、これは、ひきこもりに限った話ではありませんが、今は、様々な人を受け止められる「余裕のある社会」ではなくなってきています。変わるべきは我々、そして社会なのかもしれないという視点を持つことが必要なのではないでしょうか。
野口千里