【ウインターカップ直前特集】『他喜力』でエースをコートに、四日市メリノール学院の池田大輝コーチ「苦難を言い訳しないチームを」
満身創痍で県予選を突破
創部2年目で前回大会に初出場した四日市メリノール学院は2年連続で冬の舞台を挑む。夏のインターハイは出場を逃し、8月にはエースの塚松奎太(3年)を大ケガが襲った。相次ぐ苦難にも池田大輝コーチは部員たちと前を向き、前回大会の宿題となった全国初勝利を誓う。歓喜の瞬間に塚松をコートに立たせる。それが今大会の目標だ。(文=山根崇 取材・写真=古後登志夫) ――初出場だった前回大会はどのような位置付けとなりましたか。 創部2年目でウインターカップ出場を決めた前回大会は、2年生チームで羽黒に延長の末79-90で敗れましたが、手応えがありました。羽黒は八王子学園八王子にも勝って、洛南との3回戦でもすごく面白いゲームをされていました。互角の試合ができた私たちなら八王子、洛南とどう戦えたのか、考えながら見て、自分たちもできるのではないかという思いもありました。 大会終了後、メンバーが変わらない形で就任3年目の集大成として新チームをスタートしました。有望な1年生も加入しましたが、インターハイ予選は予期せぬ敗退となりました。3年目のインターハイ予選はやってやろうという気持ちもありながら、どこかで前年に優勝したおごり や慢心があったと思います。残り2分で10点リードしていながら逆転されました。バスケット人生でも初めてと言える試合で、悔しいというより、バスケットが一瞬嫌いになったような感覚でした。 後悔が頭の中を何度も巡ってきて、試合を振り返って見ていないのに、当時の光景が頭の中に残っていて。試合後数日はバスケットをやってこんな思いをするなら楽しくないなと。そこから悔しさが大きくなって、まだまだ上を目指せるんじゃないかと、チームとしてもう一度話して再スタートを切りました。 チームは面白くなってきて、全国でもベスト8を狙える力はつけられたと手応えを感じていました。しかし、前回のウインターカップで46得点した塚松奎太が8月に右膝前十字靭帯を断裂して、今まで支えくれていた選手がコートに立てなくなりました。大崩れというか「そんなことがあるのか」と本当にドラマみたいな。悔しさの中で這い上がろうとしていた矢先に、さらにズボッと足を引き込まれました。 ――どのように気持ちを切り替えましたか。 4、5年前の試合なのですが、私が大学でコーチをしていた当時の映像などを見返しました。その負け方、勝ち方から、何が足りていないかを再確認しました。塚松がケガをした夕方に病院に行くと、診察結果が出る前でしたが、分かっていたように泣き崩れていました。前回大会の羽黒戦は72-72の残り5、6秒で塚松がフリースローを1本決めていれば勝っていたという試合で、彼にはウインターカップへの強い思いがありました。ケガをしたその日に「奎太をウインターカップに連れて行くから、絶対にコートに立たせるから」と約束しました。塚松がいない中で「どんなことがあっても、約束を胸にみんなで上に向かっていこう」と話しました。 ――エースを欠いて、県予選の戦い方が変わった。 10月にスコアラーの安田宗太が骨折して、さらに予選2週間前には、キャプテンでガードの岩瀬宙が右手首を捻挫して、シュートもままならない、ドリブルも強くつけないと満身創痍でした。チーム事情として、安田と塚松が出られない中で、ここからどう再スタートを切ろうかと話し合って、チームのスローガンとして元々あった『From now on』に加えて、言い訳をしないという『no excuse』も掲げました。塚松不在や夏の負けを言い訳にせず取り組んできました。 ――県予選を制した喜びは。 今の3年生は自分が1年目から見て、1年生の時から同じメンバーでやってきました。3年間担任もして、思い入れがある代です。最初の卒業生でもあります。どうにかこの子たちと東京体育館に行きたかったので、 うれしいというよりホッとしました。県予選の表彰式はケガの2人と、キャプテン、副キャプテン4人で表彰式に上げて、塚松のユニホーム姿を久しぶりに見ました。その姿を見た時、涙が勝手に溢れて止まらなかったですね。