TUBEの定番“夏うた”「あー夏休み」、メンバーは「当初、シングル化を嫌がっていた」音楽界での立ち位置に悩んだ過去も明かす
水着ギャル200人登場、商店街でお皿が飛び交う……『ザ・ベストテン』の“トンデモ演出”にびっくり!
「シーズン・イン・ザ・サン」のリリースは‘86年4月だったが、「キリンびん生」のCMソングとして、夏に向けて徐々にランクアップ。約2か月後に初のオリコンTOP10入りを果たし、6週連続でランクインした。ちなみに、レコード売り上げに有線放送/ラジオ/はがきという3部門のリクエスト順位も加味した音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では、総合で11週間もTOP10入りし、年間ランキング3位となっている。当時から、一部のロックバンドはテレビに出演しないという方針が見られたが、TUBEは精力的に露出していたことからも、彼らが全方位でプロモーションをしてきたことが想像できる。 角野「僕ら自身も、自分たちが当時の音楽界においてどうすべきか、立ち位置がわからなくて。それこそ『Player』や『ROCKIN’ON』などの音楽雑誌から、『近代映画』『Myojo(明星)』などのアイドル雑誌まで、なんでも出ていました。アイドル雑誌は2か月前からの撮影なので、3月から海に入っていました。また、レコードさえ売れたらOKとするのではなくて、有線放送の営業所もラジオの放送局にも、みんなでPRに回りましたね」 『ザ・ベストテン』では、角野が「演出がめちゃくちゃすぎて面白かった」と語るように、水着のギャル200人が登場したり、雨の日を再現しメンバー全員がびしょ濡れになったりと、派手な演出が繰り広げられたという。 春畑「他にも、商店街で歌っていたら、なんかお皿みたいなものが飛んできたり、海岸で演奏した後に帰ろうとしたら、周りのみんなからパンチを食らったりしました(笑)。この『シーズン・イン・ザ・サン』がヒットしてからは、仕事が一気に増えて忙しくなったけれど、アイドルの方のように眠れないというレベルではなかったですね」 角野「それでも’80年代は、夏と冬にアルバムリリースとツアーをやって、さらに’88年から’89年は、織田さんや亜蘭さんたちと音楽ユニット『渚のオールスターズ』にも取り組んで、ソロ活動もして……と、年中ツアーかレコーディングをしていました」 春畑「亜蘭さんは、あのお写真のまま綺麗な方で、詞や曲の書き方もアドバイスしてくれましたよ。“この詞、ちょっと分かりづらいから、もう1回直したほうがいいよ”とか」 角野「亜蘭さんは今、若い人にも人気らしくて、先日タワーレコードに行った時も全面展開されていてビックリしました! 詞は亜蘭さんが、曲作りやレコーディングのほうは織田さんがずっと一緒についてくれて、ありがたかったですね」 彼らの話を聞いていると、40年近くにわたってヒット曲を量産してきたのに、とても謙虚で驚かされる。それは、デビュー後の数年間は自作曲のシングルではなかったことや、自身の立ち位置などについて試行錯誤を重ねたことで、周囲への感謝を人一倍、実感しているからなのだろうと改めて気づかされた。 【次回】は、まだまだ盛りだくさんの“夏うた”について語ってもらおう。